2010年1月30日土曜日

タンゴが流行るための 4つの仮説

突然ですが、今日は、
「流行り事」についての4つの仮説を立ててみようと思います。

1.全くの初心者でも何となく楽しめること
2.熟練者にしか分からない特別な世界があること
3.問題のタネが少ないこと
4.テレビやインターネットなど主要なメディアで頻繁に目にすること



「タンゴ増員計画」という変な名前のコミュニティを立ち上げて、ここ5年間、
タンゴだけについては、流行り廃りや始めるきっかけ・止めるきっかけ等等分析してきたつもりでしたが、私なりにこんな4つの仮説を立てて、トピックを上げたり活動したりしています。


去年あたりから、まぁタンゴだけ見ていても気づかない事がたくさんあるなぁ、ということがはっきりしてきました。そして、サンバとか、ズークとか、サルサとか、フォルクローレとか、スィングとか、やっているうちに、目からウロコなこと、ああやっぱりここは共通なんだなということ。色々気づきます。

今日は、その中でも、ああ!やっぱりこれは流行するだろうなぁ、と思ったことに関して、出来るだけ一般的な書き方をしようと思います。

もちろん、この仮説は今から叩いていくべきもので、これが絶対的な条件だ等と訴えるつもりは全くありません。


短い文だけでは語弊が出るので少し意図をご紹介します。


1.全くの初心者でも何となく楽しめること

今のように「既に出来る人」だけが集まって議論しているだけでなく、
時には「始めたばかりの人」の目線・感覚で考えていきたいものです。


去年行ったズークのパーティ。とても衝撃でした。
全くの初心者でも楽しめる、ということは本当に大切なことだと思います。

ズークというのは、サンバとはまた別の、ブラジルのダンスの一つです。
まぁもちろん、ちょっとレッスンやっただけでは、2・3曲でマンネリの渦に巻き込まれる訳ですが、、

他のダンスも見よう見真似で楽しめる!何となく踊って喋ってれば楽しいように人間は出来ています。
どこかで聞いた曲で踊る!ぶっちゃけジャズでもJ-POPでも良いのだと思っています。

このパーティでは、こんな工夫がなされていました。
こういうところをきっかけに、
ラテン文化に興味を持った稀有な人が、それ以降も継続して踊ったり音楽を聴いたりするようになるってことが、
とても大切なことなんだと思います。


タンゴのステップ、とりあえず何となくステップが出来るようになっても・・・本当に楽しいでしょうかね?
ブエノス流のミロンガ、ほとんどの初心者にとっては敷居が高く、長い苦痛の時間かもしれません。

だから憧れのダンサーや演奏家などに自分を奮い立たせられる少数の人や、多少不純な動機が交じっている人、でないと続かない。

じゃあ、ブエノスは?そもそもブエノスで練習会なんて聞いたことないよ?
と仰られるでしょうが、そもそもブエノスとはタンゴ人口も文化も違いますからね。


※ちなみに今回ご紹介したズークのパーティ、明日も一時から両国ラキアであります。


2.熟練者にしか分からない特別な世界があること

もちろん、何でも初心者OKにすれば良いかというと、
本当を目指す人には物足りないかもしれませんから、本物志向はどっかまた別のところでやらないといけません。

最近のタンゴのコンサートなど、コテコテなタンゴよりも一歩噛み砕いた物が多いのは、
やはり一般の人には、少し優しく大衆化された物を与えないと受けないからでしょう。

それはそれで1の仮説を満たしているのですが、

それに対して、それはタンゴじゃない!と叫びたい気持ちと一緒です。


今日の日記を読まれている方は、
もうおそらくダンスなどに嵌り狂っている方が多いと思いますが、
やはり本物を感じられるから、続けているのではないでしょうか?


やはり本物は、それ自身の由来があって素晴らしいものである反面、
少し敷居が高く、それだけで自己完結できるものであるので、
本物の魅力というのは、少なくとも全くの初心者がすんなり受け入れられる物ではないはずです。

ただし、やっているうちに、なぁ~んだ、そんな物かいな、
という本物の素晴らしさを知らずに去ってしまうことも多いので、

出来るだけ客観的に、そして多様な見方を持って、「本物」のエッセンスを人々に伝える努力をすべきかと思います。

これは、今まさにやっている私達の仕事かと思います。


3.問題のタネが少ないこと

あそこに行けば、こんな楽しいことが待っている!
期待と現実がいつも一緒。それが理想です。

ですが、問題は絶えず発生しますね。


この人と、あの人は、一緒にしてはいけない。
よく聞く話ですよね。


そしてセクハラの話も、悩ましいです。
単純に行為だけでその人を否定するのは、本物を否定することでもあるでしょう。
元々タンゴなんて、如何わしいダンスですもんね。

しっかりしたルールやモラルがあって、それがちゃんと定義されていれば、
「体が密着したダンスを踊るくせに多少揉んだからセクハラなどと騒ぐな」などという
オッサン・オバハンは存在しないはずなのです。
(まぁ実際のところ、このパーティは「ここまで揉んでもOKです」などとは書かないでしょうけど。)


やはり、そのコミュニティの内輪だけでつぶしあっていては、流行するはずも無いですからね。


4.テレビやインターネットなど主要なメディアで頻繁に目にすること

インフルエンザなどの疫病とは違って、人間の行動に関する「流行」というのは、テレビやインターネットで誰もが目にする・耳にする・口にする、少なくともこれが無いと流行しません。

一方で、信憑性のある主要なメディアに取り上げられる為には、それ相応の視聴者からの期待のような物が必要です。

残念ながら、ラテン全般、まだまだテレビなんかで目にすることが少ないですね。TVで頻繁に出てくるとすれば、①社交ダンスのラテンダンス②ボサノバ③浅草サンバカーニバル辺りでしょうか。

最近、サンバのコミュニティに少しだけ顔を出していますが、それはもう運営からイベント企画、育成、招聘など全てに渡って組織化されています。そして個々の小さなグループが大きな動きとなっていきます。だから、継続してTVに出れるクオリティを保っていける。
当然、サンバカーニバルのサンバが本当のサンバかというと、それについてはサンバの断片に過ぎないし、それをうまく日本にある形で流行らせているということが重要なんでしょう。

タンゴみたいに少数の人間だけが何でも主導しているようなコミュニティには限界があるんでしょうし、これ以上の人間を巻き込んでいくためには、タンゴという原型を崩して日本的にしていく必要があるのではないでしょうか。
もちろん、前述2で言ったことがありますから、今のブエノス志向のタンゴはそのままの形で継続していけばいいと思います。

例えばタンゴにおいては、Hiroshi & Kyokoが世界チャンピオンになったというニュースはTVや新聞で取り上げられ、センセーショナルでしたね。願わくば、業界の第一人者みたいな人が夜8時のバラエティ番組に定期的に出たりすればいいなぁ。

とりあえず頼みますよ、小松亮太さんや既に有名な方々へ。

2009年12月29日火曜日

「タンゴはうなりだ!」の数学的表記

今年中に一度まとめておこうと思ったので書いておきます。

※以下、算数・理科アレルギーの方は、読むのはおやめください。


タンゴはうなりだ!

と、言いますが、一体、タンゴの何がうなりなんだ?
そして、それは科学的にはどう説明されるべきか、最近考えるようにしてきました。

結論からすると、うなりというのが、体にとっても正直に、
タンゴ音楽とダンスを橋渡ししうる、一つの変数であっても何ら不思議ではないでしょう。


1.うなりとは、

うなりとは、前にも日記で書きましたが、
ギターやピアノを調弦するときに、近い音がすると音叉がウワンウワンとうなる現象のことです。

具体的に、このウワン、という音が何?なのかというと、

単純な正弦波の例で言うと、
周波数w の音と 周波数w+a の音が重なることによって、いつもの音に 周波数 a での音の強弱が加わることになります。

つまり、元々 sin (w×t)だった波だとすると、 2 × sin (w×t)× cos(a×t / 2) みたいな波になる、その cos(a×t / 2) の部分が、ウワンウワンという表現になるということです。

たとえば、2人がバイオリンを少し近い音でならしている時、一秒ごとにウワンウワンと言っていたとします。

だんだんと、さらに音を近づけることによって、a が 0 に近づくのだから(cos は 直角三角形の斜辺と底辺の比だと考えて、0度になると 1 になります)、ウワンウワンはどんどん遅くなります。そして、音が重なると、ウワンがなくな る。

タンゴ的な情景を思い浮かべてみると、
きっちりと調弦されたバンドネオンが、ファーっと長い音を出しているときに、
バイオリンが歌いだします。

ああ、皆さんも既に自然にくねってましたね。そんな感じです。


2.たとえば、回転とは、

タンゴダンスってのは、ご存知のように、
大きい音が出たからといって、大きく踊るわけでもなく、
早い音が出たからといって、速く?早く?踊るわけでもなく、
高い音が出たからといって、高く?踊るわけでもなく、
全ての音について、どう踊ろうが決められていなくて、別に怒られもしないし、
それなりに毎回違う即興ダンスが楽しめる訳です。

そして、上で説明したような、うなりがあったからと言って、以下のような理屈で回転すべきだという訳では決してありません。

私の場合はこう感じます、くらいの話です。


私の場合、うなりがあったら、下のような算数の教科書に乗っていた複素数の式やらオイラーの公式やらが出てきます。

z = cos θ + i sin θ

進んでいる方向に対して、うなりが感じられると、
少しヒーロをいれたくなったり、ねじってみたくなったり、
コルガーダしたくなったり、あ、この感じはボルガーダか。みたいな。

そんな衝動が自然に体に巻き起こります。


※理論的に、うなりに、ご興味がある方は、以下が多少分かりやすいです。
うなり、トレモロについて
うなりとフーリエ級数


3、他にも、

他にも、色々特定の動きを誘発しそうな、タンゴの音はたくさんありますね。

単純に刻みだけじゃなくって、

遠心力をつかいたくなるような音、とか、
まっすぐすすみたくなるような音、とか、
ボレアーダを鋭くいれてみたくなるような音、とか、
チョロチョロと歩いたり、重々しく歩いたり、狂おしく何かを訴えたくなったり、

一体ナンなんでしょうね?

2009年12月26日土曜日

ダンスの演奏 について思うこと ’2009

昨日はクリスマスということで
高場将美さんのギターと峰万理恵さんの「うた」を聞いてきました。

素晴らしい「うた」とご演奏、そして集まられた方々とも様々なお話を聞くなかで
いくつか共感したこと悲観したことなどなどありましたので
今年色々感じたことを含めて備忘録です。


以下のような事を軸にまとめます。

1)そもそも「伴奏」という言葉
2)タンゴダンサーから感じる「伴奏」への欲望
3)踊れないタンゴは、タンゴかどうか?


1)そもそも「伴奏」という言葉

高場先生は『「うた」の伴奏』という言葉を選ばれていましたが、
つまり歌をメインディッシュとした、おかずだったというニュアンスと捉えました。
もちろん、そこにはダンサーなんていないし、いわゆる私達が「うたもの」と呼んで特別視しているような音楽かもしれません。

ただ、やはり聞いてみて強く感じたのは、「伴奏」というのは従属関係ではないのではないか?ということ。
さきほどメインディッシュという言葉を使いながら何なのですが、歌と伴奏で互いに支えあって完結しているものだということです。


2)タンゴダンサーから感じる「伴奏」への欲望

同様に、『「ダンス」の伴奏』という言葉、そういう物なんじゃないかと思います。


ただし、
比較的ダンサーは長年レコード・CDなどの乾き物で踊る機会が多いから、
一般に「伴奏」=「ダンスのためのBGM的?」のような感覚も強いのではないかと、
実際私もそのような感覚を否定しきれていません。

そして「生演奏だなんて踊りにくい」。などと感情も当然そこにある。
それは固定のBGMであった方が踊りに集中できて踊りには都合がいいんです。
それはそれでタンゴの一つの考え方として完結しているような気がしますので、否定はしません。
というより、私も否定できません。

ついでに付け加えるならば、
「Tango Bailable」という言葉、
日本ではダンス向けタンゴ・踊りやすいタンゴ・バイラブレなタンゴ、などと訳しますが、
これもまた妙な言葉ですね。

こういう言葉を使うから、ダンサーは上から目線になったんじゃないでしょうか。

繰り返しになりますが、さきほど1で述べたような「伴奏」の定義に当てはめてみると、
一般にダンサーが求めるタンゴという物と違っていることが分かります。


3)踊れないタンゴは、タンゴかどうか?

ブエノスにいらっしゃる方が言う言葉が絶対だとは思いませんが、

踊れない・踊れるに関わらず、タンゴはタンゴなんだ、という感覚がそこにはあるでしょう。


そして、「タンゴ」とは・・・その解釈として、私の中で揺れているのは、

A-タンゴとは明確な「何か」である
B-タンゴとは結局全てである

という極端な2つ。


そして一方で、「元々のタンゴの発祥はダンス・歌・演奏が三位一体だった」という考え方からすれば、

C-タンゴというからにはタンゴダンスは少なくとも踊れるべきなんじゃないか?

という大前提もあります。


これら一見、支離滅裂に見えるいくつかのタンゴの定義たちも、

私は、さきほどの「伴奏」の定義で、乾き物でない、生の演奏に、
それを完結できる可能性を感じます。


ここで、「タンゴとは・・・」という定義は、先送りさせていただくとして、

少なくとも「ダンスの伴奏」=「踊れる音楽」と言っても問題ないかと思いますが、
つまり、タンゴダンスの伴奏としてのタンゴは少なくとも、踊れるタンゴ、という感覚で良いと個人的に思います。

そして、大切だと思うのが「ダンスの伴奏」=「踊れるタンゴ」≠「踊りやすいタンゴ」ということです。
つまり、ダンスの伴奏をするからと言って「ダンサー様どうぞ踊ってください」という風な卑下した感覚で演奏する必要が全くないはず!

なのに、今現在、ダンサー連中は「ダンサー様どうぞ踊ってください」という音楽を求めている、ということ、

そこに深いギャップがあるんだろうなぁ。


そういう方向性を狙って、2010年はタンゴを追い求めていこうと思いますが、
今オボロゲに考えるアプローチは、次の2つです。

1.ダンサーは、CDなどの乾いた音楽だけじゃなく、生の演奏とのヤリトリを楽しめるのではないか?
2.演奏家は、決してダンスに媚びへつらうことなく、ダンスとのヤリトリを楽しめるのではないか?


難しいだろうけど。

2009年12月23日水曜日

タンゴと疑心暗鬼

タンゴと他のラテンダンスを比べてみると、
やはり差が顕著なのが、そのタンゴ独特の内向性だろう。

また、タンゴのサロンダンスほど
その瞬間の即興性・その場への適応性が求められる踊りは無いかもしれない。


それだから、踊る男女は、その肉体の物理的近さだけでなく、ある程度の精神状態の集中と一致が無いと踊りにならない。

逆に言えば、
一旦何らかの疑いや不安が芽生えると、
不思議なことに踊れなくなる。

たとえば、
この人は私と踊りたくないのではないか?とか
この人は営業目的なのではないか?とか
この人は前にひどいことを言ったから嫌われているのではないか?
などと一旦疑いはじめると、踊りはその時点で終了する。

その人と踊れなくなるということは、
その人と交流が途絶えることを意味する。


それは、踊っている同士だけでない。
DJも音楽を奏でる人も酒を飲む人も踊りを見ている人も音楽を聞く人も。
全ての共感が無いと、場が完結しない。

そこでも、
一旦何らかの疑いや不安がはびこると、
不思議なことに場が盛り上がらなくなる。

たとえば、
あの人はあちらの人と仲が悪いらしい、とか
あの人はああいう曲をかけると踊らないらしい、とか
あの人はXX先生の生徒としか踊らないらしい、
などと言い出して噂の渦が巻き起こる。

そして、
ある人はそこに出入りしなくなる。


そしてこれは、ある一つの踊る場所に限定された話ではない。
タンゴに関わる人すべて、あるいはタンゴのことを小耳に挟むすべての人、
全ての共感が無いと、タンゴそのものが盛り上がってこない。

そこでも、
一旦何らかの疑いや不安に蝕まれると、
不思議なことにタンゴから足が遠のく。

たとえば、
タンゴの人は夜乱れた生活らしい、とか
タンゴの人は体をむやみに触ってくるらしい、とか
タンゴの人は社交ダンスを小馬鹿にしているらしい、とか

そんな簡単なことで
人が来なくなる。


それだから、
「場を盛り上げる」「踊りを気持ちよくする」そして「タンゴを盛り上げる」ということについて、

単純に値段やパフォーマンスの質やDJの選曲や踊りや音楽のスタイルだけで議論するのは早計で、
(もちろんそれも大事ですが)

そういった、様々な疑いを絶ち、疑心暗鬼を抑えていくのが、
タンゴにかかわる一人一人の役割であると思うし、
とくにタンゴにおいては、やはり一番大切なことなのではないかと思う。

次の時代のタンゴが盛り上がるか、盛り下がるか、

我々の心がけしだいだと思います。

2009年11月4日水曜日

タンゴの効果的な宣伝

タンゴでの宣伝活動というのは5つあると思います。

1)口コミ
2)告知
3)ビラ
4)掲示板・カレンダ
5)ダイレクトメール

みなさんは、どれが効果があると思いますか?採点ください。
私の個人的な意見では、以下のような感じです。


■1)口コミ ★★★★★

口コミによるマンツーマンの本音というのは、良い意見であれば効果絶大。もっとも効果的な宣伝。
ただ、それがあまりにも露骨に褒めすぎていたり、明らかにスタッフっぽかったりすると、逆効果。その場合、親しい人だったり口が達者な人だと、断 りきれず、その場で参加を取り付けられる場合もあるが、基本的に二度目は無い。
信頼される執筆者によるブログ記事や雑誌による、口コミも、やや効果的。Youtubeなんかでの動画公開はドンドン許容するのが良いと思う。
もちろん、あまり露骨に書く人はいないが、ブログなどに悪い意見が載ってしまうと大ダメージ。
本当に良いイベントをやってしまうのが一番。

■2)告知 ★☆☆☆☆

どこぞの先生や親衛隊の方がマイクを使ってアナウンスするのは、思ったほど効果が無い。
私の場合、聞いているフリをして拍手はするが、そんな宣伝は良いから早く踊りたい、と思っている。
口でゴニョゴニョと言われても、よほどのファンでもない限り、そんなに覚えられない。日時すら覚えてられない。
しかもアナウンスをした人は、以後宣伝マンのレッテルを貼られるので、話を聞いてもらいにくくなる。
キーワードだけをシンプルに言って、ビラに任せるのが良いと思う。

■3)ビラ ★★★★☆

口コミの次に効果的なのは「適度な」情報を載せたビラ、だと思う。
ここで「適度な」というのは、売り と 日時・場所・値段が分かる物。
コンパクトで文字は大きく且つ目立つデザインの方がベター。
設置場所とさえしっかりすれば、おそらく最も低コストで効果がある。
美しいビラや忘れたくない物は、家に帰って付箋紙代わりに壁にそのまま貼ってもらえる利点もある。
ただし、一度に20枚も30枚もビラが集まる大きなイベントでは、ゴミに様変わり。

■4)掲示板・カレンダ ★★☆☆☆

今はもうイベントが多すぎるので、はっきり言って見きれない。
しかも、ダンス関係だけでも、カレンダがたくさんある。
ミナミさん、あんへるさん、NPO、タンゴが好き!、mixi、海部さんの新聞、10タンゴ、
コンピュータ慣れしている一部の人には、使い分けも可能で、ビラよりも効果があるかも。

■5)ダイレクトメール ★★★☆☆

重要なのを忘れていた。
これは、本当にその人向けにカスタマイズされた場合、とても効果があると思う。
友人同士や過去の参加者などにメールで伝達するのは、うまく文を書けば効果的。その反面、ちゃんと書くととても高コスト。
全員にまとめて同じメールを送るのは、やめたほうがいい。二度とメールを見てもらえなくなる。

2009年10月6日火曜日

タンゴ人口を増やすってこと

自分はこんな感覚でタンゴ人口を増やそうとしてます。
みなさんはどんな感覚ですか?

整理しないと訳わかんなくなってるのでメモ代わりに。


◆目標

タンゴをメジャーにする

◆指針

フェーズA
タンゴを既に楽しんでいる人にもっと楽しくなってもらう

フェーズB
タンゴを知らない人にタンゴに興味を持ってもらう



※何故、フェーズAが先かと言うと、
新しく人が増えるだけで受け入れが出来ないと、
ザルになるからです。



◆フェーズA・アプローチ

ターゲット:タンゴを既に楽しんでいる人

1)ミロンガの不満足を減らし、満足を上げよう
2)音楽をもっと楽しもう 
3)仕方なくタンゴから離れてしまう人を減らそう
4)小さな活動を知ってもらおう


◆フェーズB・アプローチ

ターゲット:「タンゴを既に楽しんでいる人」になりそうな人

1)とりあえず実物を聞いて・見てもらおう 
2)意外と流行っていて身近にあることを認識してもらおう


◆人口試算

☆タンゴを既に楽しんでいる人とは・・・

→ タンゴを聞く人
= コンサートに行く人(~100万)
+ラジオ・テレビ・インターネットでタンゴを聞く人(~1000万)
+レコードを持っている人(~10万)

→ タンゴを見る人
= コンサート(デモ有)・ショーに行く人(~1万)
+テレビ・インターネットでダンスを見る人(~100万)
+ビデオを持っている人(~1千)

→ タンゴを踊る人
= レッスンに行く人(~1万5千)
+ミロンガに行く人(~1万)

→ タンゴを弾く人
= タンゴを弾ける楽器を弾く人(~10万)
+タンゴバンドに入っている人(~1百)

→ タンゴを歌う人
= タンゴの歌詞を知っている人(~1千)
+タンゴカラオケを持っている人(~1百)


★草の根的に、皆さんでやっていったら良いんじゃないかと思っているのが、
どんどんブログや映像をインターネットで公開していきましょう!
というところでしょうが、その前に、今のタンゴ場をより良い物にして行かないと・・・

2009年7月10日金曜日

【提案】 ミロンゲーロ・ミロンゲーラ選手権

ちょっとアジア大会とは嗜好を変えて、
こんなのはどうですか?

【制限時間】 15分
【参加方法】 カベセオなどを交えて、時間内を使って大いに楽しむ
【審査方法】 参加者が自分以外の同性・異性に投票、
        踊りそのものだけでなく、踊り相手のマナーやトーク内容なども加味する

そう、お気づきの通り、ただのミロンガですけど。
こういう道のプロもいていいと思ったりします。

誰かやってくれたら参加します。
ちなみに私はカベセオの成功率が未だにゼロです。