2015年2月14日土曜日

関西のダンスイベントに出かけて思ったこと~2015年1月

何度か書いている通り、2015年1月は成人式の前の日、3連休の中日に大きなダンスイベントが関西で行われるということで出かけてきた。

先にも書いたけれども、大阪市の中央公会堂で開催されたCafetin de Buenos Airesの7周年ミロンガを含む週末は、とても良い感じにまとまっていて、この先も関西のタンゴシーンは盛り上がっていく(だろう)という片鱗を垣間見たので、もう少しその記憶をとどめておきたい。

日曜日のミロンガは、かなり大きな会場で開催されてたくさんの人があちこちから集まる大きなイベントでありながら、緊張感があって気配りの効いた良いイベントだったと、今になっても思える。なんだか東京では懐かしい雰囲気・・・まぁそんな話はいいとして。

Cafetin自体には時々出張があるときなんかにたまに遊びに行っているのだけど、特別イベントということもあってどんな人が来るのか。純粋に一年に一回の集いを楽しみましょう、ということなのか、きれいな会場なので久々にタンゴでもやってみよう、ということなのか、とりあえず友達に誘われていく、ということなのか、実際のところは分からないけれども、関西付近のダンサーが多く集結しただけでなく、関東や名古屋・九州などから多くのみなさんが集まっていた。

実際に、ここ7~8年で名古屋、新潟、福岡と言った町では他所の町からの来客を見込んだイベントも確立され、他にも広島、札幌、仙台、大分というような場所でも試みが続いている。ぜひ関東も今一度、横浜やら山梨やら群馬やら、近隣とそういったつながりのある町の賑わいを取り戻してほしいと思う。


さて、中央公会堂ってところは、大きい大きいと言われて来て、実際に天井が高くて壮大な場所。初めての場所なんだけど、なんだか受け入れてくれている雰囲気で良い。テーブルは柱に沿って一重で比較的誘い安く、フロアの大きさも人数に対して十分に広く、これぞオープンなフェスティバルにふさわしいと思えた。選曲も無難に良い感じで、あまり普段は踊ったことのないようなみなさんと次々と踊るのにとても良かった。

個人的に反省したいのは、結局イベントで現地の新しい人たちとはほとんどの人とは喋らず仕舞いだった。なんとなく、やはり名古屋やら福岡やら知り合いがたくさんいたので、挨拶がてら立て続けに踊ってるうちにあっという間に踊る時間が終わってしまった。もう少しがむばって現地の人とたくさん交流すれば良かった、と今更ながらに思う。大きなイベントが終わってからも、Cafetinでアフターミロンガなどもあったのだけれども、そういうミロンガに行っていれば、より楽しめたのは間違い無いだろう。せっかく自分の住んでいない町に行くんだから、そこのおいしいものやきれいなものと、たのしい人とのひと時が味わえるのが良い。



ご存知のとおり某大都市東京では、イベントの数が多すぎるせいもあってか、毎週末どこかでスペシャルイベントのようなことが行われている。

大物ゲストが来たとかデモがあって1000円プラスされるなどというのは当たり前で、そうでもないときは誰々の誕生日やら行ってらっしゃい・おかえりなさい系のイベントで何かしら集客をしようとしてイベント内容は飽和しきっている。スペシャルイベントということで、いつも決まった身内的で裕福な取り巻きたちが渡り鳥のようにお金を落としてくれるイベントばかりになっている。開催側も、ずいぶんと露骨に決まった常連客を優先しているので、少し部外者的に出かけると疎外感を受けるかもしれない。


逆に言えば、そういう不特定多数で踊りあうというようなサロンのシステムへの主催者側の関心が薄れ、本来の音楽やダンスなどの本来楽しみたいところの品質が全くナイガシロにされている。そんなところは、なんとなくゲストダンサーやらDJやらを外から金で買ってアウトソースしておけば良いダンス場が買えるとでも思っている安易な主催者たちもいるのではないだろうか。

結果として、異国から東京にやってきて、夜ふらっと出かけて踊りを楽しむべくダンス場は、本人たちの全く知らされていない要因で閑散としていたり、妙な内輪感満載のムードでにぎわって本来の飾り気の無くにぎわっているべきのダンス場ではなかったり、そんな具合だ。商売として、マーケティングとして、そういう理屈だけでタンゴが取り扱われていくと、この先さらにこんな傾向は助長されていってお先真っ暗だ。そんなところを「連盟」やら「協会」やらに期待していいのか?それともやはりアマチュアじゃないとできないのか?

最低限これだけは言っておきたい。

イベントを無秩序に重ねないで!

そして年に一度のフェスティバルを開催しようとしても、無数無派の商業的なグループがまとまりきれずに、他のスタジオが同日イベントでつぶしあうような残念な結果となってしまっている。こういう大都市のタンゴエコシステムが半壊してしまっている関東のタンゴにこの先希望はあるのか?そういうネガティブな状況にどう対応していくべきか、ということについてはまたいずれ、時間を作って書いていきたい。


かなり脱線してしまったけれど、幸いなことに、関西のイベントが楽しめるものだったということ、そこに大きな希望がある。

タンゴのダンスを楽しもうとしているダンサーたちもたくさんいるんだよ、ということ。
こういう普通の人の普通の気持ちを見捨てないで、これからもタンゴが末永く楽しめますように。

そして、将来日本でどこにでかけてもこんな風に楽しめる、ソウルや台湾や香港もいいけど、たまには東京や大阪にふらっと、出張ついでも踊りにいってみようよ、そんなことって素敵なことなんだと思う。

2015年2月8日日曜日

ダンサーから聴く音楽祭~2015年1月

日本でも、ミロンガのようなダンス場では、おなじみの楽団のおなじみの曲がかかったらダンサーは待ってましたとばかりに相手を誘って踊りに耽るものだ。

表立った言葉は出なくても、ダンス場のあのときの一体感はミロンガの醍醐味であって、ダンサーにとってはタンゴに求める最も美しい瞬間だろう。そこでは、懐かしさであり良心であり悲しみや喜びであり、ひとつの音楽や歌を通して共感するような何かを媒介としてダンス場を楽しむことができる。

こういう時の共感した場が盛り上がるというような、この現象を表現するにふさわしい言葉を、しばらく求めてきたのけれど、それはカデンシアなのかグルーブ感なのか、はたまた日本人にとっては祭りやカラオケで時折得られる一体感や甲子園での阪神タイガース応援みたいなものなのか、未だにふさわしい言葉はみつからないけれども、その場の濃厚な空気の震えみたいなものが、そこの場にいる一人ひとりによって高めあわれていくことで、そんな瞬間が確かにある。

もちろんコンサート会場でもそれに似た一体感が得られることがあるし、それはダンス場の人たちのやり取りとは手法が違うにせよ、すぐれたクラシック音楽やロックやジャズや民族音楽なんかを奏でる奏者とそれを求める聴衆の間で創られていく雰囲気。そんなものをコンサートやライブに求めていくもの。

だけれども、ダンス場のタンゴダンサーがタンゴ音楽に求めるものと、タンゴコンサート会場の聴衆が求めるタンゴ音楽が違うから、タンゴのダンス場で得意満面にピアソラを演奏されても盛り上がらないし、そんな状況をぼくらは何百回も見てきたし、生演奏なんかよりCDをかけた方がマシなんだと思ってるダンサーを多く知っている。もちろんタンゴを聴くためだけで踊らない人がダンス場に金を払って音楽を聞きにくることなんかもない。ダンス場とコンサート会場では、そもそも能動性・客観性・既知性・マクロ性などに大きな乖離があるので、元々仕方ない。そういう別々のものとしてヒトククリにして終わりなのか?

ダンスと歌と生演奏の三位一体・そんな架け橋を夢見ていた、石川浩司さんとお話をしたときからもう10年近くなる。せっかくタンゴ音楽で独自の長い歴史を持っている日本で、なぜこんなことになっているのか。

大きな希望、それは、なぜブエノスアイレスから来た楽団はダンサーが聞いても違和感無くダンスを思い描きながら聴けるのか?ということ。そして今日本でもダンス場で引っ張りだことなっている楽団もある。

今日は、ダンサーの目を通して、とあるコンサートを聴いた時に思ったことを書いてみようと思っている。



2015年1月12日、6楽団と多くのタンゴファンがかけつけてやまと郡山市で行われた奈良タンゴ祭。

主催のくるみさんや発案者のバンドネオンの北村さんのお父様を中心に、やはり企画に1年以上かかったそうなのだけど、やまと郡山市のバックアップもつき、ホールいっぱいに集まった聴衆からの大喝采に終わった。3時間あっという間で、次回以降も大いに盛り上がるだろうと、勝手に期待してみている。

楽曲的には、トラディショナルタンゴよりも現代タンゴが多めで、楽団によって、聴衆との掛け合いの違いが見られて面白かった。それぞれの演奏についてはラティーナに掲載されている清川くんの記事をごらんいただいてると思うので割愛するとして、私なりのダンサー目線で書けることを書いてみよう。

今回は、ダンサーにはおなじみの楽団や奏者が出演されていたこともあって、タンゴの楽曲の中にあるそういうグルーブ感がコンサート会場でどう展開されるか、ということにも興味があって、聴く人・ダンサー半々のモードで楽曲を聴いてみることにした。

ダンサー気分で聴けそうな楽団や曲はそう聴けば良いし、そうでなければ純粋に演奏や歌曲として聴けば良い、というだけ。純粋に歌曲として聴くならば、それぞれの楽団、個性とメッセージがあって楽しい。それがオムニバスで6楽団も盛りだくさん、すばらしい。


ところが、ダンサーとして聴くときには何故その感覚がそれを邪魔するのか?
素直にその良いと思える感覚、たとえば表現や技巧をそのまま評価できなくなるのか?

変な言い方になるけれども、ダンサーとしてタンゴを聴くときと、純粋に演奏としてタンゴを聴くときに何が違うのか?ということ。

当たり前のことだけれども、念のため言葉にしてみるならば、ダンサーが刻みや旋律を聞いて、フレーズの流れや音の飾りなどを鑑みつつ、ダンスを踊るリーダがフォロワーの動きに変換する。リズムを踏み、加速度を呼び、回転を巻き起こし、時には静止をし、ダンス場との共鳴を育む。

というような一連のダンスロジックを作るために、プラスになるオカズやマイナスになるお邪魔なものがあるということ。


とりあえず、先入観を捨ててダンサー気分で聴いてみてハッとして目覚めてしまった瞬間を挙げてみよう。

・リズムが途切れる
・単調でブレイクが少ない
・ソロが長い
・展開が読めない
・遅すぎる(または早すぎる)

逆に言ってみれば、そんなに超絶技巧でなくても良いので、こういうポイントさえ無いように編曲しておけば、そんなにダンサーとしても違和感が無かったのではないかと思える。

また細かい部分はいつか書くとして、以前、ダンサーとして楽しむための音楽について、三つの条件を挙げたことがある。(2008年)
http://sacadaenborde.blogspot.jp/2008/01/blog-post.html

1)既知であること
2)飽きのこないこと
3)身体的に踊りやすい

この2と3なんかは、上にハッとして目覚めてしまった瞬間と通ずるところがある。

1の既知性の基準としては、仮にコピーかオマージュか(またはパロディか)という分類をするならば、ダンサーは全く初めて会うようなダンサー同士で踊ることを想定するので、一概によく知られた音楽の徹底したコピーを求めている。また、一部の気の合うダンサー同士については知識共有をベースにオマージュ形式の楽しみもあるかもしれない。

トラディショナルタンゴを題材としている曲について、特にプロ楽団については、ダリエンソやディサルリスタイルと言われるいくつかのコピーバンドの演奏を除けば、ほとんどは少人数編成で独自の編曲を行うオマージュ演奏となっていると考えられる。今のデュオやトリオ形式でトラディショナルタンゴをダンサーに咀嚼できるように編曲するのは難しいだろうけれども、そういうものに巡り合える瞬間はやはり感動だ。

楽団が演奏する楽曲がどんな曲のどんなオマージュなのか。どんな楽団の持ち味を表現して、楽曲やそのルーツをどういう風にレスペクトしているのか。はたまたダンサーに対してどんな盛り上がりを期待しているか、そういうところが専ら楽しいところなんだろう、と思うし、それがタンゴが音楽として踊りとして歌として成り立つ奥深さなんだと思う。

ただこれらはダンスをやっているからといって身につくものではなく、時には口ずさみ、歌い、色々な人生のバックグラウンドをおかずにして、人それぞれの解釈でタンゴを骨までしゃぶって楽しむということなんだろう。

さらにピアソラや現代タンゴのオマージュを、ダンサーがどう楽しめるか?というのは、トラディショナルタンゴとは背景が違うから、一概にダンサーの感覚でどこまで受け入れて楽しいものなのか定かではないけれども、そこからやはり何か一歩踏み出す必要があるだろう。こういうこともやはり長くなるのでまた別の機会に書こうと思う。

奈良タンゴ祭のように複数の楽団を一度に並べて聞くような贅沢はそんなに味わえることではないけれども、純粋にタンゴを演奏として聴いているだけでなく、独特なタンゴの奥深さを嗜むためにふさわしいような、そういった今後の発展があれば、より良いと思うし、ぜひとも、今回運よくタンゴ祭に足を運ばれて、ダンスはまだ踊ったことがないという方がいらっしゃるならば、来年はダンスを少し嗜まれて、違ったタンゴの側面を垣間見ながらタンゴ祭を楽しまれてはいかがかと思う。

2015年1月31日土曜日

関西の週末~2015年1月

先週(2015年1月10日~12日)の週末、関西を訪れた。

今回のたびの目的は完全にタンゴがメインあとは観光。
まず10日、奈良のやまと郡山で行われる奈良タンゴ祭という音楽祭を皮切りに、神戸・芦屋のミロンガや大阪の中央公会堂で行われるカフェティンの7周年ミロンガにも出かけるプラン。

総じて言うならば、3日間、純粋にタンゴを楽しむ機会に恵まれ、現地のみなさんと交流できて新しい友達もでき、現地のおいしいもの・きれいなものを堪能できた、思い出に残る週末だった。

個人的に思うには、週末のタンゴフェスティバルと言うのは大きなリユニオンイベントだけでなく普段の現地の様子が感じられる、そこそこのバリエーションがあって、ハレもケも両方適度に色々味わえるものが良いと思う。こんな週末だったら、また来てみたいって思うかな。

それから、今後考えていきたいことなどもいくつかできたので、ここに整理しておこうと思う。

1 週末の主な行程(*今回のお話はこれ)
2 ダンサーから見た音楽祭
3 大きなダンスイベント
4 関東との違い



1 週末の主な行程


10日は3連休の始まりということもあってか、新幹線は満席、名古屋まで自由席に座れずに立っていく。


京都では金閣寺などを駆け足で見て、おばんざい食べ放題。京都での散策中トランクは駅で400円で預かってもらった。


3時間くらいの観光をして、近鉄の橿原神宮行きの急行に駆け込む。


やまと郡山の駅からトランクで急ぎ10分、郡山城のとなりのある大和郡山城ホールが会場。なかなか大きなホール。すでに1階席は満席、2階に座る。関西で踊る人はほとんどいないようだ。観客よりも出演者の方が知り合いが多いって感じのイベントとなったけど、逆にこういうタンゴに初めて接する人への反応を見るのは楽しみだ。

出演者の時間割について、1部・2部の始まりドゥオが入り、注目のコンフントでつないで、3組目はトリ。東京タンゴ祭と違って、各人が喋ることが許されていて、より各楽団に親しみをもてる構成だったと思う。


大喝采で終わった音楽祭。出演者のみなさんとお話してしばしのお別れ。これから2時間かけて神戸・三宮のミロンガへ大移動。ワイワイとしゃべりながらなのであっという間。


キタノサーカスに向かう前に生田神社の裏にある天竺園というところで餃子を食べる。普段ならミロンガ前に餃子は控えているんだけど、関西の女性陣はバクバクと食べている。


キタノサーカスはシュウエケ邸の前にあるお店で、喫茶のオーナーが切り盛りをしている。いつもならエルネストとリカがいるんだけど今回はホセルイスという一度見たら忘れないような風貌のダンサーがエルネストの代わり。チズコとマキシも遊びに来ていたし、東京ミロンガをやっていたアサノさんもいて懐かしかった。ここのミロンガは若干選曲が玄人向けだけど、個人的にはいつも満足できる。


最後はチャカレーラとロックンロールがかかって終わり。帰りは、現地の車で来ていた方にホテルまで送ってもらった。


11日は朝から神戸の中華街。


甲子園口でたこ焼きを焼いたりしているうちにあっという間に夕方。


この日は、大阪にあるCafetin de Buenos Airesというお店の7周年記念ミロンガで、なんと大阪市で一番大きな中央公会堂大ホールでのイベント開催。始まる前にカフェティンの近くのカフェで時間をつぶそうとすると、ゆかこさんをはじめ10人くらいのスタッフの人たちが会議をしていた。さすがに壮大な場所でのミロンガだけあって大掛かりだ。


実際に中央公会堂に出かけてみると、圧倒的な天井の高さ。これはゴージャスと言える。10数本の大きな柱の脇にはテーブルが一重に並ぶ。名古屋や福岡、関東や四国からも人が来ている。関西って日本の真ん中なんだな、と感じる。近隣の町からふらっと足を伸ばせる位置関係、そして人間関係。こういうのを大切に築いてきたんだろう。DJもニューヨークで鍛えられた人でなかなか良かった。
イベントの様子は、また第3話にて。


大きな感動で終わった中央公会堂のイベント、さらにアフターミロンガがあるので行こうと思ってたんだけど、みながご飯に行くというので食事に。ゆかりんや関西のみなさん、なぜかいわつなおこさんも加わって、タンゴ話にふけっているうちにもう帰る時間。そのまま梅田経由で三宮へ。


12日は時間があればロープウェイで六甲山にでも行ってみようと思ったけど、案の定断念。散策して神戸の古い教会で朝食を取る。宿でしばし時間をつぶした後、芦屋へ。


月一回開催されているジミーレストランには今までなかなか来れなかった。ジミーさん自らが前日のデモ中も考えて調理をしたという料理をいただく、食いすぎてもう動けなくなったんだけど2タンダじっとして踊ることにした。いつもレストランを楽しみにしているみなさんが集まって、ワイワイガヤガヤと踊りあって楽しんでいる。


ジミーさんの選曲は、いつも的を外さない。DJ誰々ということが大切ではなく、その会を楽しめることが大切で、主催者の役割だ。ここに来ると、それをいつも感じることができる。


あっという間の関西ツアーも終わり、それぞれ帰途につく。


次回は音楽祭などの考察などをば。

2013年8月24日土曜日

ネコでもできるタンゴDJ’2013

前回、タンゴDJについて書いたときから3年くらいたったのですが、

タンゴDJ、

というのは結局タンゴ場を愛することなんだ、
と分かったので、久しぶりに書いてみようと思います。


ちなみに3年前に書いたというのは、↓こんなものです。

タンゴのDJに思うこと’2010
http://sacadaenborde.blogspot.jp/2010/10/dj.html


タンゴDJは、必要以上に難しく考えられていたり、逆に軽んじられていたり、
はたまた俺には関係ない世界のできごとであるかのように語る人もいますが、
ミロンガでは、とても当たり前でありながら、大切な役割だと思います。

ミロンガのような、タンゴ場を愛する人であれば、タンゴDJにトライしてみて欲しいです。


自分たちは、
Rueda de Tango などという謎のペンネームを使って
名前を伏せてタンゴ場の選曲をやらせていただいてますが、

自分たちにとっては、タンゴ場にどんな音楽が相応しいのかということを考えるための、思考実験です。

自分たちは、プロのタンゴDJになろうとしているわけではないので、
どこぞの人の書いた文献などには頼らず、外国から来たプロを名乗るDJなどにも頼らず、
ゼロから自分の力で、タンゴ場について考えることを拘りたいと思っています。


大昔であれば、
ミロンガのようなタンゴ場でレコードなどを切り替えながら、
その場に合わせて選曲するということは、それなりに知識や操作技術を要する仕事だったのかもしれません。

今のように、タンゴ楽曲も Amazonみたいなところから簡単に手に入って、

パソコンなどで加工や事前のシミュレーションなんかが簡単になっている時代では、
通常のミロンガでの選曲すること自体についてのリスクは著しく減っていて、

わざわざプロを名乗って独自の商品化を行っているタンゴDJよりも、
もっと当たり前の、ミロンガの場づくりのためにオーガナイザーと共に骨を折れる人間が求められています。


タンゴDJは、ミロンガにおいては大切な役割ですが、

当たり前体操みたいなものなので、

そこそこの楽曲のコレクションと、
タンゴダンサーとしてのふつうの感覚があれば、
誰にでもできるし、

もしかしたら、ネコでもできるんじゃないかな。


ちなみに、サルでもできる、って書こうとも思いましたが、
サルができてもあまり嬉しくないかなと思ったのでネコです。


① インプロの度合い

はじめに、少しだけ難しいことを。

インプロ(インプロビゼーション)という言葉がありますが、

タンゴの演奏やダンスは、ある程度のアドリブを使って楽しむもので、
人によって、求めているインプロの度合いが違うこともよくあり、
その考え方の違いによって、踊りやすい、とか、タンゴらしい、とかいう感覚の部分は、
人それぞれの主観によって変わるものだとは思います。

だからこそ、あるダンスイベントのオーガナイザーは、
意図する・しないに関わらず、ある程度、その場の前提となるようなインプロの度合いを設定していて、

ダンサーは、その作りだされたダンス場の元で、
その音楽・その人が創り上げる空間・時間を楽しむことができるのだと思います。


今回は、タンゴDJと一重に言っても、ある程度幅があるので、
だいたい下の図①の青リンゴのあたりを、インプロの度合いとしてイメージしてもらえたらと思います。



つまり、まったくの場当たり的な音・踊りを求めるわけではなく、かと言って、予め予告されて振り付けされたような音・踊りでもないというような程度の話です。


② よく知られた曲

タンゴの曲が何曲あるかは知りませんが、
人によってCDを持っていたり、持っていなかったり、聞く曲にも当然違いがあります。

それと同じように、ミロンガなどタンゴ場でかかるタンゴの曲にも、ばらつきがあって、
その結果、よく知られた曲や、あまり知られていない曲があります。

タンゴの曲すべてを考えると、タンゴの曲がダンサーに知られている度合いは、
おおざっぱに図②のように書けるかと思います。



同じ曲でも、違う演奏者が演奏していたり、同じ演奏者でも違ったバージョンの演奏などもあります。

ただ難しいのは、自分が知っているからと言って、よく知られた曲とは限らないことですよね。


③ ある曲を知っているダンサー


図③は、図②と同じことについて、少し違う書き方をした図で、すごく当たり前の話ですが、

あるミロンガで、誰もが知っている曲をかければ、知っていると手を上げる人が多いでしょうし、
あまり知らない曲をかければ、知っていると手を上げる人は少ないでしょう。



ミロンガに、そこそこ人がいれば、自分の知っている曲を知っている人と巡り合う確率も増えてきそうです。



④ 知らない曲でも踊れる相手


同じ曲でも、よく踊っている人や、同じ先生に習っている人みたいな相手だと、
あまりよく知らない曲で踊れたりします。

図④は、そんなことを書いた図です。

気のしれたメンバーで集まった内輪のミロンガだと、わりと曲は何だって踊れるんですが、
まったく初めて行く、たとえば初めて行く外国のミロンガなんかだと、そこそこ知っている曲で踊りたいかもしれません。

あるいは、オーガナイザーの主旨によって、敢えて知られていない曲なんかを楽しむ会なんかもあるかもしれません。




⑤ 結果的に踊ることができる曲数

たくさんの曲数を踊れれば満足するとは限りませんが、

踊りたい!と思う時に、
踊りたいと思う曲がかからなかったり、
踊りたい相手がいなかったりすると、
がっかりします。

まずは、踊りの選択肢としてたくさんある方が良いと思うかもしれません。


内輪のミロンガでは、どんな曲でも気のしれた相手がいるので、少人数でも踊れるわけですが(0人だとさすがに無理だけど)、
初めて行くタンゴ場では、そこそこ全体の人数が来ていないと踊れないことが予想できます。

図⑤には、そんなものを書いてみました。



外国からも人が来て楽しんで欲しいミロンガや、国際的なイベントなんかでは、
初めて来る人にも楽しんでもらえることを願うならば、当然知られている曲をかけた方が良いのだと思います。


ただ、タンゴDJも、タンゴダンスと同じで、
シンプルが一番むずかしいと思います。

①~⑤の、こんなところだけでもイメージしながら、
持ち合わせの曲で2~3時間の選曲をしてみると面白いと思いますので、是非やってみてください。


誰もが知っている曲を並べていけばいいんですけど、
誰もが踊りたくなる曲というのを求めていくのは、追求すればするほど奥深くて、
それはミロンガなどで自分でつかんでいくしかない。

これっていうのは、タンゴダンスやタンゴ場に自分がいて楽しもうということと同じ気持ち、
タンゴ場を愛するということに通じることだと分かってきました。

決して独りよがりでない、タンゴ場を共に創り上げる気持ちなんだと思います。



最後に、余談ですが、タンゴ演奏についてもちょこっと書いてみます。


余談 生演奏ミロンガについて

人によっては、生演奏は楽しいけど踊りにくい、と言われます。

生演奏は「人によって、おなじみの曲ではあるけれども、違う演奏」か「知られていない曲」が中心なので、
単純に図にすると、以下のようになるかと思います。



単純に考えるなら、生演奏で踊る人に興味がある人が集まるか、
もしくは、ある程度、タンゴダンサーに知られた曲を演奏するようなタンゴ場があれば、盛り上がるような気がします。


きっとミロンガでのタンゴ演奏も、
タンゴDJと同じように、ミロンガに通い続けて、ミロンガ演奏を続けてつかんでいく、
奥深いものがあると考えています。

ライブのつもりで一方通行のタンゴ演奏が、何か空虚な感じを覚えるのと一緒で、
きっとタンゴ演奏というのは本来、タンゴダンスがあっての物だと信じています。

ダンス場での生演奏と、CDなどによるタンゴDJを、
ひとくくりに語れるものではありませんが、

以前、高場さんの演奏を聞いて思ったことを、改めてここに書きたいと思います。

タンゴDJも、タンゴ演奏も、タンゴダンスと一体になった伴奏なんだということ。

良かったら、古い文で恐縮ですが、下も読んで下さい。

ダンスの演奏 について思うこと ’2009
http://sacadaenborde.blogspot.jp/2009/12/blog-post_26.html

2012年2月19日日曜日

タンゴダンス棲み分け論~ミロンガ熱力学のススメ 2012

【タンゴダンス棲み分け論~ミロンガ熱力学のススメ】

タンゴダンス関係で一時期騒がれた

マナーの話や、主催者やDJがどうあるべきか?などという議論が最近めっきり減り、


それが少しながらも良い傾向の表れなのか、
それとも逆なのか?
はたまた、趣味なんだからやはり楽しければいいのではないか?

どう思われているのか知りませんが、
今のうちに自分の考えを整理しておこうと思います。


今日書きたいことは、東京を中心に起こっている出来ごとの背景をベースとして、次の5つのことです。

1)東京で起こっている出来ごと
2)ダンススタイルの温度差
3)音楽スタイルの温度差
4)タンゴ場における棲み分け
5)自分の今年のキーワード、横串・音楽・海外、について



0)前置き:熱力学の導入について

ただ、それらが、なかなか一重に書ききれない複雑な現象であることは分かっていて、

今回は、やさしい?理科の力を借りて、
これらを整理してみたいと思います。


とはいえ、理科なんか忘れたという方がいると思いますし、
言葉の先入観が思いもよらぬ語弊を招くと困る繊細なテーマでもあるので、

はじめに、使う理科の用語の意図する意味を明確にしておこうと思います。


『密度』・・・
東京に限らず、空いているミロンガがあったり、混んでいるミロンガがあったりします。

その場の混み具合を『密度』という言葉で表します。
例えば、地球の空気の密度は、地上で1モルが22.4リットルの空気に含まれるなどというのを理科でやったと思いますが、それです。

この密度という言葉は、欧米などのタンゴ運動論の議論などが盛んな国ではよく耳にします。


『圧力』・・・
圧力というのは、地球上の大気圧が1気圧だというのは皆さんご存じだと思いますが、
それは実際に、自分よりも上空の大気が自分に向かって押している力の強さなので、とても分かりやすいものです。

タンゴでもそういう圧力を感じることがありますが、威圧感であったり、周りに与えるプレッシャーのようなものです。

それはとても抽象的な概念なので、ここでは実際にそのような威圧感が自分に力を及ぼす、という仮定の下で話を聞いてください。


『温度』・・・
温度というのは、(流体的な取り扱いができる)空気の分子などの、速度のばらつきの大きさのことです。

タンゴにおいては、直感的には、激しく動いている人がバラバラに動いているというのが高温だし、静かに小刻みに動いているというのが低温だ、と言うことができると思います。

また、後半では、音楽的なバラつきについても、温度で表現しています。
たとえば、ダリエンソのような刻み系サウンドが止めどもなく流れていることを音楽的に低音と表現し、異種音楽やらヌエボやらバラつきが大きい場の状態を音楽的に高温と表現します。

タンゴにおける温度というのは、ダンススタイルであったりDJの選曲スタイルであったりするというイメージになります。


「等圧線」・・・
断熱的な器の中では、おおざっぱには、温度は、圧力に比例し密度に反比例します。

今日使っている図の中で出てくる等圧線というものは、おおざっぱに、そのような断念的な近似が成り立つだろうという仮定の下で聞いて下さい。



1)東京で起こっている出来ごと


まずは、文字で書いても、イメージが湧かないかもしれませんので、
さっそく図を書いてみます。

図1:東京で行われている主な5種のイベント



図1は、東京で2012年時点で行われている、主な5種のイベントを書いてみました。

横軸は密度、縦軸は温度です。色付けは圧力を表していて、等圧線を書いています。


図1aには、温度についてもう少し考えてみるために、温度一定の変化とは何かを表しています。

あるダンサーが自分のダンススタイルを保ちながら、同じような音楽スタイルだけどいつもより混雑している(または、空いている)ミロンガにでかけた場合というようなニュアンスの図です。

図1a:等温的なダンス



たとえばAさんが、自分のダンススタイルを保ちながら、いつもより混雑しているミロンガにでかけたとすると、Bさんにはとてもプレッシャーがかかるということになります。

これはかなり直感的に分かりやすく、たとえば、いつもガランとしている土星から来た人が、いつもの感覚で渋谷でズンと歩けば人に当たるわけです。

また、クラブで育ったCさんが、いつもAさんが遊んでいる比較的すいているスタジオに遊びに行ったところ、その破天荒なダンスがAさんにプレッシャーを与えるかもしれません。


次に、圧力と密度について考えてみます。

図1b:等密度的なダンス



同じくらい混んでいるけれども、人によってはゆったりできるミロンガがあれば、人によってはプレッシャーを感じるミロンガであったりします。

たとえば、Aさんが普段より低圧のミロンガへ出かけた時、Aさんはいつもよりかなりおとなしく(低温に)踊ることが求められます。
この場合Aさんが低温に踊る技術がなければ、Aさんは低圧のミロンガでは周りにプレッシャーを与えてしまいます。深海魚が下手に海の浅瀬に出ようとするとうまくいきませんし、爆発してしまうこともあります。

逆にBさんが普段よりも高圧のミロンガへ出かけた時、Bさんはいつもより頑張って激しめに(高温に)踊ることが求められます。ヤドカリがそのまま深海に降りて行ってもうまくいきませんし、爆発してしまうこともあります。


そこで、このようなAさん・Bさんにとって、どういうミロンガがてっとり早いかと考えたのが、図1cです。

図1c:等圧的なダンス



Aさんは、圧力が同じくらいのミロンガに出かけるのが一番楽です。

逆に、どのミロンガがどのくらいの圧力のミロンガなのか?という情報の発信は、ミロンガ運営のためにとても重要だと思います。

ミロンガ主催の観点からすれば、マナーなどについては「このような考え方の人が集まっている」とか、選曲について「こんなコンセプトでDJしています」とかいう情報発信、そして集客の結果、集ってくるダンサーが作りだす圧力がそのAさんにとっての圧力となります。


もしくは、ダンススタイルの幅があるダンサーであれば、密度に合わせて自分の温度を変えて、ミロンガに見合った圧力を演出することも出来るのかもしれません。どちらにせよ、自分自身が周りの圧力を許容できることが前提です。


2)ダンススタイルの温度差

温度がダンススタイルだけで決まるとすれば、図2のような感じで分類されるでしょう。

図2:ダンススタイルの分類



ざっと書くだけで、かなりのダンススタイルがあります。

どんなダンススタイルが多いかと、図2aにおおざっぱに円の大きさで書きます。

図2a:ダンススタイルの人口分布



それに対して、お店側のポジショニング(2012年)は以下のようです。

一概に、多様なスタイルが集まるイベントになればなるほど、ダンススタイルの多様さが上がるので温度が跳ね上がります。

図2b:ダンススタイルの店側のポジショニング





3)音楽スタイルの温度差

だいたいブエノスではこのような定番がかかる、という感覚が、最近の東京では少しずつ定着しつつある感があります。

ただご存じのとおり、同じ「定番」と言っても、その定番性にはかなりの温度差があります。

図3:選曲スタイルのいろいろ



ここのところ、どんな選曲スタイルが良い?的な会話をしてみると、だいたい図3aのような人口分布がみえてきます。

図3a:選曲スタイルの人口分布



実際に尋ねてみると、まだ「定番」だとか選曲自体への関心は低いことが分かります。

自分の個人的な考えでは、「定番」というものは、見知らぬペアが初めて出会って踊りあうために最高の遊び道具セットだと思います。

だから、そういう「定番」への関心、そしてタンゴ音楽についての関心がもっと深まれば、
もっと面白いと思えるイベントが増えてくれるのではないかと、淡い期待を抱いています。


音楽よりも、集まる人が肝心。それは確かに自分の踊りたい人がいなければ成り立たないダンスなので正しいのかもしれません。

人が、単に人のつながりというだけでなく、音楽やフロアコンセプトを選択して適切な場所に集まるようになる。
というのは、一つのタンゴのステップ、一段階成熟のバロメータだと思います。


図3b:選曲スタイルの店側のポジショニング



スタジオやイベントのコンセプトとしては、DJを前面に出すイベントが急に増えています。
その一方で、あまりDJのブランド作りだけを先行せずに、
本来DJがどうあるべきか?という議論があってしかるべきかとも思います。


4)タンゴ場における棲み分け

現在のところ、私のイメージでは、以下のような棲み分けの図があります。

図4:タンゴ界、棲み分けの図




5)自分の今年のキーワード、横串・音楽・海外、について

正月に、今年の個人的なキーワードとして挙げさせていただきました、3つのキーワード。
横串・音楽・海外、について、もう少し考察します。


図5:横串・音楽・海外




「横串」・・・
横串については、まずは、人物分布を把握すること、それが双方向で理解されることが必要だと思います。

だから、今の東京の現実を理解しつつ、そのイベントならではの踊り場のコンセプトを打ち出せるイベントが生き残っていくのだろうと思います。


そして、一番大きな溝。
既存のダンサーよりも新規のダンサー開拓に重きを置いたイベントと、既存ダンサー向けイベント。


NHKで栗山千明さんのタンゴ番組。

古典的なタンゴの一面があのような影響力のある番組で取り上げられて、とても良いと思います。心から応援してます。

だけど、それだけでは足りない。とも思います。


タンゴ界全体で、番組を見て始めたい!と思ってくれた人へのフォローを欠かさないようにしたいものです。


「音楽」・・・
今の段階では、少なくとも「定番」だけが全てではないでしょう。

ただ、「定番」の良さが全く浸透していない。

特にベテランダンサーを中心とした、ニヒルなまなざしがタンゴ界全体を覆っている。
この点、音楽については先ほども書きましたが、DJブランドづくりよりもミロンガのブランドづくり、そしてミロンガコンセプトの代弁者としてのDJの役割について、もう一工夫が必要なのだと思います。


「海外」・・・
東京で開催されるタンゴフェスティバル、タンゴマラソン、その他国際的なミーティングに、海外から人が来るためには、
最低限、日常的にミロンガが充実していくこと。

アジアを中心として、欧米からも高いお金を払って東京にまで来てくれる。


海外からの来訪者が楽しみにしてくれるようなタンゴってどんなんでしょう?

海外とのつながりについては、詳しくはまた別の日記に書こうと思っています。

2011年7月20日水曜日

安全なダンス場

人間が動機に基づいて行動する、という
「マズローの欲求階層論」に従うならば、

ダンス場において「安全」というのは、
ダンスを楽しむ上でも欠かせないものだろう。



下位の欲求が満たされれば、
より上位の欲求を求めていく、
このマズローの欲求階層論を簡単にいえばそういう考え方。


あつい・ねむい・のどが渇いた・トイレに行きたい、

ダンサーが、そんな気持ちに支配されれば、
当然ダンスを楽しむという以前の問題で楽しめない。

そういう生理的な感覚は、そこまでの個人差が無い物だと考えられるが、
「安全」というのは、ダンサーそれぞれの感覚、という一面も強い。

「安全」が満たされれば、ダンサーはそれよりももっと上位の欲求にチャレンジできることになる。

「音楽に没頭する」、「自分のダンスを追求したい」、「二人のダンスを追求したい」・・・
というような個々の欲求がぶつかりあうダンス場になるためには、
まずは少なくとも「生理的」「安全」が満たされなければならない。



今日は、
このダンス場における「安全」というものについて、
特に最近の「安全なダンス場」に関する皆さんの議論を通して、

1)何故、安全じゃないから面白くない、というような【安全論者】が増えているのか。
2)何故、特定ダンススタイルの人やタンゴに新しく人を増やそう、という考え方の人と意見が食い違うのか。

という点について考えていこうと思う。

そして結論から言わせて頂くならば、

「安全」かそうでないかという基準は、
最終的には、個人の判断に委ねるのではなく、ダンス場が設定すべきであり、
そのダンス場において、それを満たせば楽しいという共通の一念をもってダンスが行われればいいのではないか。




たとえばダンサーAさんとBさんが、あるダンス場に出かけることを考えてみる。


彼らは共に「仲間が欲しい」という動機を持って、ダンス場にやってきたとしよう。

幸いに、そのダンス場は温度・湿度共になかなかいい設備があって、
トイレもあって、おまけにフリードリンク・スナック付であったので、
とりあえず快適だなぁと感じるに至ったようだ。

彼らはダンス相手を何人か見つけ、目的であった仲間をつくることができたが、
しばらく踊っているうちに、ダンス場に【切り裂きジャックさん(仮)】が表れた。

※ちなみに「切り裂きジャック」と私が呼んでいるのは全くの空想の人物のことです。


Aさんは、次々と切り裂かれて血まみれになるダンサー達の姿を見て「俺はこんな危険なダンス場はイヤだ!」と言って、そそくさと帰っていった。

Bさんは、ダンス場には切り裂きジャックがいるものだと考えていて、それなりにジャックと離れて踊ることができたので、彼は相変わらず快適に踊り続け、おかげで仲間がたくさんできたようだ。


1)何故、安全じゃないから面白くない、というような人が増えているのか。

言うまでもなくBさんは目的を達成できて、楽しんでダンス場を後にしたし、
後で切り裂きジャックについてどう思う?と聞かれても、楽しめればいいじゃん、とそう答える。

一方で、Aさんはそのダンス場について嫌だと思ったし、
ダンス場には切り裂きジャックがいるものだと考えれば尚更、こんなダンス楽しめるわけねーじゃん、となる。


既にお気づきの通りで、
最近 この AさんでもBさんでもないと思われる【安全論者】というのが増えていると思われる。


【安全論者】の発想の源は、ダンス場をより良くしようとする着眼点であり、
なぜこのような人が増えているかというと、ダンス場をより良くしようという気持ちが高まっているということだと考えられ、
【安全論者】は、ダンス場における最も弱者の立場に立って「安全だと思えば楽しめるのに、なぜ【敢えて】安全でないと思うか?」を訴えているものと思われる。


2)何故、特定ダンススタイルの人や新しくダンス人口を増やそう、という考え方の人と意見が食い違うのか。

Wikipediaによると、安全(あんぜん)とは、危険がないこと、被害(有形・無形を問わず)を受ける可能性がないこと、とある。

【安全論者】の特徴はさきほども書いたとおりで、ダンス場における最も弱者の立場に立っていることで、被害を受ける可能性のある全てのものを対象とする。

ダンサーは一人ひとりが安全を望んでいて、被害を与えようと思って踊っているわけではないが、
ご存知の通り、ダンス場における衝突・妨害などの被害は絶えないのである。

【安全論者】の論旨は、より良いダンス場というものを目指しながら、残念ながらいつしか、予測不可能な異質なもの全てを「切り裂きジャック」として、標的とするような風潮となっているように思える。


さらに残念なことに、
最近、特定ダンススタイルのダンサーや、新しくダンス人口を増やそうというダンサーには、
このような【安全論者】の考えが概ね不評である。

傍から見れば、お互いの論は全く論点がずれていることが分かる。



特にタンゴの場合、槍玉に上がりやすいダンサーの特徴は、次のような点である

・流れに比べて相対的に速い動きをする(半拍以下の動きの多用・コルガーダや遠心力の効いたヒーロなど)
・流れに比べて鋭角または逆行する動きをする(逆行移動・鋭角のサカーダ・オーチョを含む)
・流れの前提となる流線(動線)から垂直の動きをする(追い越しを含む)
・平均的車間距離に比べて相対的に大きい動きをする(横移動・後移動・大きなラピスを含む)
・ヒールを上げる(ボレオ・エンガンチョを含む)
・隣接する開けたスペースがあれば早い者勝ちで移動する

これだけではないが、はっきり言って、どれを取っても、どんなダンススタイルであっても、
こういう風に先生が踊ってくださいと言っているとは思えない驚愕の事柄なのである。

つまり、このようなことは、どのようなダンススタイルの特徴でもないので、
そのようなダンサーがたまたまそのダンススタイルだったからと言って、
一概になんらかのダンススタイルを否定するのは考え物である。



最近は、【安全論者】がこのようなダンサーを槍玉に上げるたびに、
何故か自分のことだと思った論者から一斉にピントのずれた反論を受ける。

彼らの論旨を整理すると、
自由な動きで、オープンなアブラソで「胸をつけて踊らない」ことは、ダンス人口を増やそうとする上で大切だ!

というところだ。

ちなみに、私も「タンゴ増員計画」などという妙なコミュニティをやっているおかげで、
過去にもその手のこと考えたことがあるし、過去の私の日記を見てもらえば分かるとおりで、
ダンス人口を増やすために、幾許かのローカライズが必要であるし、
自分もそういう点については重々承知しているつもりだ。



しかしながら、
それと「安全」は別の次元の話だ。



特定の個人の立場で【安全論者】が意見を述べることは、より良いダンス場を求める上で大切な動きだと思う。

ただ、そのような個人の「安全」の感覚は、絶対的な基準にはなり得ないし、ご承知の通り、既に無用の反発が著しい。
このまま議論が収束していくとも思えない。


そのようなことを踏まえて、改めて書かせていただきたいのは、

「安全」かそうでないかという基準は、
最終的には、個人の判断に委ねるのではなく、ダンス場が設定すべきであり、
そのダンス場において、それを満たせば楽しいという共通の一念をもってダンスが行われればいいのではないか。

ということになる。

2011年6月19日日曜日

衝突の多いミロンガについて

アジア大会の興奮冷めやらぬ中、
風邪でダウンしてしまったので、ミロンガにも行かず、
久しぶりにタンゴのことでも考えることにした。


楽しめる・楽しめないの話は置いといて、

衝突が多いミロンガというのはどういうことか?
それも最近、気になるという人が増えているから、考えてみたいと思っていた。


衝突が多いミロンガというと、実際にミロンガで出くわすと、大雑把な理由は思い当たるものの、
具体的に何が要因である可能性が上がるのか?


タンゴダンサーというものは、
前後左右に自由に動くことができると言われているが、

ミロンガにおいては、
①反時計回りになだらかに動きながら、
②リーダーの周りをフォロワーが一定の距離を置いて動いている
ということなので、

単純化して①と②の動きだけを考えてみる。

以下、

①をミロンガの踊り場に沿って発生する対流の「ドリフト運動」
②をリーダーの周りをフォロワーが動く動きを「ジャイロ運動」

と呼ぶことにして、
タンゴダンサーの動きは、この2つの足し合わせであると仮定する。



A) 「ドリフト運動」に着目した、衝突の可能性と予防策について


まず、ドリフト運動だけに着目して一つの絵を描いてみる。



ものすごくきっちりしたロンダを描く理想的なミロンガの場合、
何となく踊り場の外枠の形を気にしながら、こんな対流が起きそうな気がする。

長方形であれば、最低の1重の対流が起きるし、
正方形に近ければ、何重にも対流が起きることが予想できる。


まず、このドリフト運動が原因として衝突が起きる可能性、について考えてみる。

一つ目に考えられるのは、このドリフト運動のムラ(ばらつき)(※A-1)だろう。

例えば、踊り場にペアが10組いるとして、
体慣らしに10ペア全部が一歩ずつ時速2km/hで歩いている状況を考えてみたときに、
全員が均等に歩き続ければ、当然ずっとそのままみんな歩くことができる。
だけれども、1ペアだけが時速3km/hで歩けば、それだけで衝突が起きるかもしれない。

さすがにそんなにミロンガで直進ばかりしている人たちはいないと思われるが、私の場合、ダリエンソやビアジばかりかかるミロンガなんかは、どうしても直進したい衝動に駆られることもある。あるいはためてためてズンと進むような曲なんかは、激しく大きな一歩で直進したい場合がある。


直進しなくても、「渋滞」のような状況なら実際に起きている。

一般的に、自動車の渋滞は、運転者自身は一定の速度を保っていると思っているけれども、傾斜の変わり目などで起きやすいとされている。
ミロンガについても、おそらくこれに似ているのだと思う。たとえば劇的に曲調が変わる曲、解釈に幅がある曲、などは、普段良く行くミロンガの選曲傾向やダンススタイルの違いが大きく影響すると予想される。こういう曲を、ある程度混雑しているミロンガでかけるとアウトだと思う。

(A-1)について考えられる、主催者側・ダンサー側の対応策。

主催者側:混雑状況とダンサー嗜好・ダンススタイルに応じた選曲。
ダンサー側:できるだけ曲に流されずに、一定の速度で対流を守ろうという気持ち。


ドリフト速度のばらつき、2つ目としては、左右への自由度の高さ (A-2)だと考える。

たとえばさきほどの「理想的な」対流の上で、
ダンサーが踊ったとするならば、どうなるか?

というのが次の絵になる。




実際に踊られる方なら分かる通りで、
ロンダを厳密に守ろうと思わなければ、
横が空いていたら出てみたくなるかもしれない。
対流が2重・3重・・・と多重になればなるほど、左右に行く自由度が増す。

左右および後ろへの移動は、死角も多くなり、
極力避けたほうがいい、というのも当たり前の話。

理想的な踊り場の形状については、
幾人かの日記でもあった通り、
長方形が良いとされるのは対流の形だと考えて特に違和感がない。


(A-2)について考えられる、主催者側・ダンサー側の対応策。

主催者側:できるだけ左右の自由度を減らす踊り場の形。
ダンサー側:できるだけロンダを守ろうとする気持ち。


A-1)とA-2)への最善の努力をして、対流が理想的にできれば、
それ以外のダンススタイルがどうとか、選曲がどうとか、というのは最小の影響になるのではないかと期待している。

特に、主催者の手の届かないことがあるとすれば、
それは、ダンサーは対流の速度とLODをたもつということであり、
そういうことは一人のダンサーとして意識したいものだと思う。



B) 「ジャイロ運動」に着目した、衝突の可能性と予防策について


もっとも、曲に合わせて多様な動きを表現するのもタンゴの醍醐味であるから、
「対流を守ること」と「多様な動きを楽しむこと」はトレードオフである。

そのサジ加減については、ミロンガごとにどういう雰囲気を求めるのか、
ということになると思われる。

ミロンガの主催者が予め情報を公開していないとすれば、
それは後に問題になるかもしれないので、踊り場作り・選曲の両面で慎重に考えたいところだと思っている。


たとえば、以下にTokyo Tango Cityでの例を挙げる。

11日にはじめた La Cadencia @ Tokyo Tango City では、
予め 4m x 6m という長方形を利用して、一重の対流を描くことを念頭においた。





今回のミロンガでは、結果的にセントロの混み具合には程遠かったものの、
平均的に10ペア程度が半径1mの動きをできるペアで賑わった。

報告があがっている中では、
衝突がやはりあったり、狭い間から追い抜かれた、などという例があったが、

踊り場作りと選曲側でどのような工夫ができるか、どのようなトラブルの回避ができるのか、
これから試行錯誤していきたい。


また、中目黒GTホールでの例を考える。

たとえば最近のミロンガでは、12m x 10mという正方形になっている。
対流セルの大きさは理論的には 2.5mで、2重の対流が起きると予想している。




人数として80人~100人。同時に踊るペア数としては、20~40という物であるが、
もちろんLa Cadencia に比べると、かなりゆったりしていることが分かる。

基本的にTokyo Milongaなどはトラディショナルが多めなので、選曲面では十分な配慮があると思うが、
なんとも正方形なのは難しいなぁと最近よく感じる。
それが、形のせいなのか、ある特定のダンサーのせいなのか、よく分からない。

この場所は少人数でヌエボとかでガンガン縦横無尽にやるミロンガの方がやりやすいのだと思う。


長くなってしまったので、これ以降の検討はまたの機会に。