2013年8月24日土曜日

ネコでもできるタンゴDJ’2013

前回、タンゴDJについて書いたときから3年くらいたったのですが、

タンゴDJ、

というのは結局タンゴ場を愛することなんだ、
と分かったので、久しぶりに書いてみようと思います。


ちなみに3年前に書いたというのは、↓こんなものです。

タンゴのDJに思うこと’2010
http://sacadaenborde.blogspot.jp/2010/10/dj.html


タンゴDJは、必要以上に難しく考えられていたり、逆に軽んじられていたり、
はたまた俺には関係ない世界のできごとであるかのように語る人もいますが、
ミロンガでは、とても当たり前でありながら、大切な役割だと思います。

ミロンガのような、タンゴ場を愛する人であれば、タンゴDJにトライしてみて欲しいです。


自分たちは、
Rueda de Tango などという謎のペンネームを使って
名前を伏せてタンゴ場の選曲をやらせていただいてますが、

自分たちにとっては、タンゴ場にどんな音楽が相応しいのかということを考えるための、思考実験です。

自分たちは、プロのタンゴDJになろうとしているわけではないので、
どこぞの人の書いた文献などには頼らず、外国から来たプロを名乗るDJなどにも頼らず、
ゼロから自分の力で、タンゴ場について考えることを拘りたいと思っています。


大昔であれば、
ミロンガのようなタンゴ場でレコードなどを切り替えながら、
その場に合わせて選曲するということは、それなりに知識や操作技術を要する仕事だったのかもしれません。

今のように、タンゴ楽曲も Amazonみたいなところから簡単に手に入って、

パソコンなどで加工や事前のシミュレーションなんかが簡単になっている時代では、
通常のミロンガでの選曲すること自体についてのリスクは著しく減っていて、

わざわざプロを名乗って独自の商品化を行っているタンゴDJよりも、
もっと当たり前の、ミロンガの場づくりのためにオーガナイザーと共に骨を折れる人間が求められています。


タンゴDJは、ミロンガにおいては大切な役割ですが、

当たり前体操みたいなものなので、

そこそこの楽曲のコレクションと、
タンゴダンサーとしてのふつうの感覚があれば、
誰にでもできるし、

もしかしたら、ネコでもできるんじゃないかな。


ちなみに、サルでもできる、って書こうとも思いましたが、
サルができてもあまり嬉しくないかなと思ったのでネコです。


① インプロの度合い

はじめに、少しだけ難しいことを。

インプロ(インプロビゼーション)という言葉がありますが、

タンゴの演奏やダンスは、ある程度のアドリブを使って楽しむもので、
人によって、求めているインプロの度合いが違うこともよくあり、
その考え方の違いによって、踊りやすい、とか、タンゴらしい、とかいう感覚の部分は、
人それぞれの主観によって変わるものだとは思います。

だからこそ、あるダンスイベントのオーガナイザーは、
意図する・しないに関わらず、ある程度、その場の前提となるようなインプロの度合いを設定していて、

ダンサーは、その作りだされたダンス場の元で、
その音楽・その人が創り上げる空間・時間を楽しむことができるのだと思います。


今回は、タンゴDJと一重に言っても、ある程度幅があるので、
だいたい下の図①の青リンゴのあたりを、インプロの度合いとしてイメージしてもらえたらと思います。



つまり、まったくの場当たり的な音・踊りを求めるわけではなく、かと言って、予め予告されて振り付けされたような音・踊りでもないというような程度の話です。


② よく知られた曲

タンゴの曲が何曲あるかは知りませんが、
人によってCDを持っていたり、持っていなかったり、聞く曲にも当然違いがあります。

それと同じように、ミロンガなどタンゴ場でかかるタンゴの曲にも、ばらつきがあって、
その結果、よく知られた曲や、あまり知られていない曲があります。

タンゴの曲すべてを考えると、タンゴの曲がダンサーに知られている度合いは、
おおざっぱに図②のように書けるかと思います。



同じ曲でも、違う演奏者が演奏していたり、同じ演奏者でも違ったバージョンの演奏などもあります。

ただ難しいのは、自分が知っているからと言って、よく知られた曲とは限らないことですよね。


③ ある曲を知っているダンサー


図③は、図②と同じことについて、少し違う書き方をした図で、すごく当たり前の話ですが、

あるミロンガで、誰もが知っている曲をかければ、知っていると手を上げる人が多いでしょうし、
あまり知らない曲をかければ、知っていると手を上げる人は少ないでしょう。



ミロンガに、そこそこ人がいれば、自分の知っている曲を知っている人と巡り合う確率も増えてきそうです。



④ 知らない曲でも踊れる相手


同じ曲でも、よく踊っている人や、同じ先生に習っている人みたいな相手だと、
あまりよく知らない曲で踊れたりします。

図④は、そんなことを書いた図です。

気のしれたメンバーで集まった内輪のミロンガだと、わりと曲は何だって踊れるんですが、
まったく初めて行く、たとえば初めて行く外国のミロンガなんかだと、そこそこ知っている曲で踊りたいかもしれません。

あるいは、オーガナイザーの主旨によって、敢えて知られていない曲なんかを楽しむ会なんかもあるかもしれません。




⑤ 結果的に踊ることができる曲数

たくさんの曲数を踊れれば満足するとは限りませんが、

踊りたい!と思う時に、
踊りたいと思う曲がかからなかったり、
踊りたい相手がいなかったりすると、
がっかりします。

まずは、踊りの選択肢としてたくさんある方が良いと思うかもしれません。


内輪のミロンガでは、どんな曲でも気のしれた相手がいるので、少人数でも踊れるわけですが(0人だとさすがに無理だけど)、
初めて行くタンゴ場では、そこそこ全体の人数が来ていないと踊れないことが予想できます。

図⑤には、そんなものを書いてみました。



外国からも人が来て楽しんで欲しいミロンガや、国際的なイベントなんかでは、
初めて来る人にも楽しんでもらえることを願うならば、当然知られている曲をかけた方が良いのだと思います。


ただ、タンゴDJも、タンゴダンスと同じで、
シンプルが一番むずかしいと思います。

①~⑤の、こんなところだけでもイメージしながら、
持ち合わせの曲で2~3時間の選曲をしてみると面白いと思いますので、是非やってみてください。


誰もが知っている曲を並べていけばいいんですけど、
誰もが踊りたくなる曲というのを求めていくのは、追求すればするほど奥深くて、
それはミロンガなどで自分でつかんでいくしかない。

これっていうのは、タンゴダンスやタンゴ場に自分がいて楽しもうということと同じ気持ち、
タンゴ場を愛するということに通じることだと分かってきました。

決して独りよがりでない、タンゴ場を共に創り上げる気持ちなんだと思います。



最後に、余談ですが、タンゴ演奏についてもちょこっと書いてみます。


余談 生演奏ミロンガについて

人によっては、生演奏は楽しいけど踊りにくい、と言われます。

生演奏は「人によって、おなじみの曲ではあるけれども、違う演奏」か「知られていない曲」が中心なので、
単純に図にすると、以下のようになるかと思います。



単純に考えるなら、生演奏で踊る人に興味がある人が集まるか、
もしくは、ある程度、タンゴダンサーに知られた曲を演奏するようなタンゴ場があれば、盛り上がるような気がします。


きっとミロンガでのタンゴ演奏も、
タンゴDJと同じように、ミロンガに通い続けて、ミロンガ演奏を続けてつかんでいく、
奥深いものがあると考えています。

ライブのつもりで一方通行のタンゴ演奏が、何か空虚な感じを覚えるのと一緒で、
きっとタンゴ演奏というのは本来、タンゴダンスがあっての物だと信じています。

ダンス場での生演奏と、CDなどによるタンゴDJを、
ひとくくりに語れるものではありませんが、

以前、高場さんの演奏を聞いて思ったことを、改めてここに書きたいと思います。

タンゴDJも、タンゴ演奏も、タンゴダンスと一体になった伴奏なんだということ。

良かったら、古い文で恐縮ですが、下も読んで下さい。

ダンスの演奏 について思うこと ’2009
http://sacadaenborde.blogspot.jp/2009/12/blog-post_26.html

2012年2月19日日曜日

タンゴダンス棲み分け論~ミロンガ熱力学のススメ 2012

【タンゴダンス棲み分け論~ミロンガ熱力学のススメ】

タンゴダンス関係で一時期騒がれた

マナーの話や、主催者やDJがどうあるべきか?などという議論が最近めっきり減り、


それが少しながらも良い傾向の表れなのか、
それとも逆なのか?
はたまた、趣味なんだからやはり楽しければいいのではないか?

どう思われているのか知りませんが、
今のうちに自分の考えを整理しておこうと思います。


今日書きたいことは、東京を中心に起こっている出来ごとの背景をベースとして、次の5つのことです。

1)東京で起こっている出来ごと
2)ダンススタイルの温度差
3)音楽スタイルの温度差
4)タンゴ場における棲み分け
5)自分の今年のキーワード、横串・音楽・海外、について



0)前置き:熱力学の導入について

ただ、それらが、なかなか一重に書ききれない複雑な現象であることは分かっていて、

今回は、やさしい?理科の力を借りて、
これらを整理してみたいと思います。


とはいえ、理科なんか忘れたという方がいると思いますし、
言葉の先入観が思いもよらぬ語弊を招くと困る繊細なテーマでもあるので、

はじめに、使う理科の用語の意図する意味を明確にしておこうと思います。


『密度』・・・
東京に限らず、空いているミロンガがあったり、混んでいるミロンガがあったりします。

その場の混み具合を『密度』という言葉で表します。
例えば、地球の空気の密度は、地上で1モルが22.4リットルの空気に含まれるなどというのを理科でやったと思いますが、それです。

この密度という言葉は、欧米などのタンゴ運動論の議論などが盛んな国ではよく耳にします。


『圧力』・・・
圧力というのは、地球上の大気圧が1気圧だというのは皆さんご存じだと思いますが、
それは実際に、自分よりも上空の大気が自分に向かって押している力の強さなので、とても分かりやすいものです。

タンゴでもそういう圧力を感じることがありますが、威圧感であったり、周りに与えるプレッシャーのようなものです。

それはとても抽象的な概念なので、ここでは実際にそのような威圧感が自分に力を及ぼす、という仮定の下で話を聞いてください。


『温度』・・・
温度というのは、(流体的な取り扱いができる)空気の分子などの、速度のばらつきの大きさのことです。

タンゴにおいては、直感的には、激しく動いている人がバラバラに動いているというのが高温だし、静かに小刻みに動いているというのが低温だ、と言うことができると思います。

また、後半では、音楽的なバラつきについても、温度で表現しています。
たとえば、ダリエンソのような刻み系サウンドが止めどもなく流れていることを音楽的に低音と表現し、異種音楽やらヌエボやらバラつきが大きい場の状態を音楽的に高温と表現します。

タンゴにおける温度というのは、ダンススタイルであったりDJの選曲スタイルであったりするというイメージになります。


「等圧線」・・・
断熱的な器の中では、おおざっぱには、温度は、圧力に比例し密度に反比例します。

今日使っている図の中で出てくる等圧線というものは、おおざっぱに、そのような断念的な近似が成り立つだろうという仮定の下で聞いて下さい。



1)東京で起こっている出来ごと


まずは、文字で書いても、イメージが湧かないかもしれませんので、
さっそく図を書いてみます。

図1:東京で行われている主な5種のイベント



図1は、東京で2012年時点で行われている、主な5種のイベントを書いてみました。

横軸は密度、縦軸は温度です。色付けは圧力を表していて、等圧線を書いています。


図1aには、温度についてもう少し考えてみるために、温度一定の変化とは何かを表しています。

あるダンサーが自分のダンススタイルを保ちながら、同じような音楽スタイルだけどいつもより混雑している(または、空いている)ミロンガにでかけた場合というようなニュアンスの図です。

図1a:等温的なダンス



たとえばAさんが、自分のダンススタイルを保ちながら、いつもより混雑しているミロンガにでかけたとすると、Bさんにはとてもプレッシャーがかかるということになります。

これはかなり直感的に分かりやすく、たとえば、いつもガランとしている土星から来た人が、いつもの感覚で渋谷でズンと歩けば人に当たるわけです。

また、クラブで育ったCさんが、いつもAさんが遊んでいる比較的すいているスタジオに遊びに行ったところ、その破天荒なダンスがAさんにプレッシャーを与えるかもしれません。


次に、圧力と密度について考えてみます。

図1b:等密度的なダンス



同じくらい混んでいるけれども、人によってはゆったりできるミロンガがあれば、人によってはプレッシャーを感じるミロンガであったりします。

たとえば、Aさんが普段より低圧のミロンガへ出かけた時、Aさんはいつもよりかなりおとなしく(低温に)踊ることが求められます。
この場合Aさんが低温に踊る技術がなければ、Aさんは低圧のミロンガでは周りにプレッシャーを与えてしまいます。深海魚が下手に海の浅瀬に出ようとするとうまくいきませんし、爆発してしまうこともあります。

逆にBさんが普段よりも高圧のミロンガへ出かけた時、Bさんはいつもより頑張って激しめに(高温に)踊ることが求められます。ヤドカリがそのまま深海に降りて行ってもうまくいきませんし、爆発してしまうこともあります。


そこで、このようなAさん・Bさんにとって、どういうミロンガがてっとり早いかと考えたのが、図1cです。

図1c:等圧的なダンス



Aさんは、圧力が同じくらいのミロンガに出かけるのが一番楽です。

逆に、どのミロンガがどのくらいの圧力のミロンガなのか?という情報の発信は、ミロンガ運営のためにとても重要だと思います。

ミロンガ主催の観点からすれば、マナーなどについては「このような考え方の人が集まっている」とか、選曲について「こんなコンセプトでDJしています」とかいう情報発信、そして集客の結果、集ってくるダンサーが作りだす圧力がそのAさんにとっての圧力となります。


もしくは、ダンススタイルの幅があるダンサーであれば、密度に合わせて自分の温度を変えて、ミロンガに見合った圧力を演出することも出来るのかもしれません。どちらにせよ、自分自身が周りの圧力を許容できることが前提です。


2)ダンススタイルの温度差

温度がダンススタイルだけで決まるとすれば、図2のような感じで分類されるでしょう。

図2:ダンススタイルの分類



ざっと書くだけで、かなりのダンススタイルがあります。

どんなダンススタイルが多いかと、図2aにおおざっぱに円の大きさで書きます。

図2a:ダンススタイルの人口分布



それに対して、お店側のポジショニング(2012年)は以下のようです。

一概に、多様なスタイルが集まるイベントになればなるほど、ダンススタイルの多様さが上がるので温度が跳ね上がります。

図2b:ダンススタイルの店側のポジショニング





3)音楽スタイルの温度差

だいたいブエノスではこのような定番がかかる、という感覚が、最近の東京では少しずつ定着しつつある感があります。

ただご存じのとおり、同じ「定番」と言っても、その定番性にはかなりの温度差があります。

図3:選曲スタイルのいろいろ



ここのところ、どんな選曲スタイルが良い?的な会話をしてみると、だいたい図3aのような人口分布がみえてきます。

図3a:選曲スタイルの人口分布



実際に尋ねてみると、まだ「定番」だとか選曲自体への関心は低いことが分かります。

自分の個人的な考えでは、「定番」というものは、見知らぬペアが初めて出会って踊りあうために最高の遊び道具セットだと思います。

だから、そういう「定番」への関心、そしてタンゴ音楽についての関心がもっと深まれば、
もっと面白いと思えるイベントが増えてくれるのではないかと、淡い期待を抱いています。


音楽よりも、集まる人が肝心。それは確かに自分の踊りたい人がいなければ成り立たないダンスなので正しいのかもしれません。

人が、単に人のつながりというだけでなく、音楽やフロアコンセプトを選択して適切な場所に集まるようになる。
というのは、一つのタンゴのステップ、一段階成熟のバロメータだと思います。


図3b:選曲スタイルの店側のポジショニング



スタジオやイベントのコンセプトとしては、DJを前面に出すイベントが急に増えています。
その一方で、あまりDJのブランド作りだけを先行せずに、
本来DJがどうあるべきか?という議論があってしかるべきかとも思います。


4)タンゴ場における棲み分け

現在のところ、私のイメージでは、以下のような棲み分けの図があります。

図4:タンゴ界、棲み分けの図




5)自分の今年のキーワード、横串・音楽・海外、について

正月に、今年の個人的なキーワードとして挙げさせていただきました、3つのキーワード。
横串・音楽・海外、について、もう少し考察します。


図5:横串・音楽・海外




「横串」・・・
横串については、まずは、人物分布を把握すること、それが双方向で理解されることが必要だと思います。

だから、今の東京の現実を理解しつつ、そのイベントならではの踊り場のコンセプトを打ち出せるイベントが生き残っていくのだろうと思います。


そして、一番大きな溝。
既存のダンサーよりも新規のダンサー開拓に重きを置いたイベントと、既存ダンサー向けイベント。


NHKで栗山千明さんのタンゴ番組。

古典的なタンゴの一面があのような影響力のある番組で取り上げられて、とても良いと思います。心から応援してます。

だけど、それだけでは足りない。とも思います。


タンゴ界全体で、番組を見て始めたい!と思ってくれた人へのフォローを欠かさないようにしたいものです。


「音楽」・・・
今の段階では、少なくとも「定番」だけが全てではないでしょう。

ただ、「定番」の良さが全く浸透していない。

特にベテランダンサーを中心とした、ニヒルなまなざしがタンゴ界全体を覆っている。
この点、音楽については先ほども書きましたが、DJブランドづくりよりもミロンガのブランドづくり、そしてミロンガコンセプトの代弁者としてのDJの役割について、もう一工夫が必要なのだと思います。


「海外」・・・
東京で開催されるタンゴフェスティバル、タンゴマラソン、その他国際的なミーティングに、海外から人が来るためには、
最低限、日常的にミロンガが充実していくこと。

アジアを中心として、欧米からも高いお金を払って東京にまで来てくれる。


海外からの来訪者が楽しみにしてくれるようなタンゴってどんなんでしょう?

海外とのつながりについては、詳しくはまた別の日記に書こうと思っています。

2011年7月20日水曜日

安全なダンス場

人間が動機に基づいて行動する、という
「マズローの欲求階層論」に従うならば、

ダンス場において「安全」というのは、
ダンスを楽しむ上でも欠かせないものだろう。



下位の欲求が満たされれば、
より上位の欲求を求めていく、
このマズローの欲求階層論を簡単にいえばそういう考え方。


あつい・ねむい・のどが渇いた・トイレに行きたい、

ダンサーが、そんな気持ちに支配されれば、
当然ダンスを楽しむという以前の問題で楽しめない。

そういう生理的な感覚は、そこまでの個人差が無い物だと考えられるが、
「安全」というのは、ダンサーそれぞれの感覚、という一面も強い。

「安全」が満たされれば、ダンサーはそれよりももっと上位の欲求にチャレンジできることになる。

「音楽に没頭する」、「自分のダンスを追求したい」、「二人のダンスを追求したい」・・・
というような個々の欲求がぶつかりあうダンス場になるためには、
まずは少なくとも「生理的」「安全」が満たされなければならない。



今日は、
このダンス場における「安全」というものについて、
特に最近の「安全なダンス場」に関する皆さんの議論を通して、

1)何故、安全じゃないから面白くない、というような【安全論者】が増えているのか。
2)何故、特定ダンススタイルの人やタンゴに新しく人を増やそう、という考え方の人と意見が食い違うのか。

という点について考えていこうと思う。

そして結論から言わせて頂くならば、

「安全」かそうでないかという基準は、
最終的には、個人の判断に委ねるのではなく、ダンス場が設定すべきであり、
そのダンス場において、それを満たせば楽しいという共通の一念をもってダンスが行われればいいのではないか。




たとえばダンサーAさんとBさんが、あるダンス場に出かけることを考えてみる。


彼らは共に「仲間が欲しい」という動機を持って、ダンス場にやってきたとしよう。

幸いに、そのダンス場は温度・湿度共になかなかいい設備があって、
トイレもあって、おまけにフリードリンク・スナック付であったので、
とりあえず快適だなぁと感じるに至ったようだ。

彼らはダンス相手を何人か見つけ、目的であった仲間をつくることができたが、
しばらく踊っているうちに、ダンス場に【切り裂きジャックさん(仮)】が表れた。

※ちなみに「切り裂きジャック」と私が呼んでいるのは全くの空想の人物のことです。


Aさんは、次々と切り裂かれて血まみれになるダンサー達の姿を見て「俺はこんな危険なダンス場はイヤだ!」と言って、そそくさと帰っていった。

Bさんは、ダンス場には切り裂きジャックがいるものだと考えていて、それなりにジャックと離れて踊ることができたので、彼は相変わらず快適に踊り続け、おかげで仲間がたくさんできたようだ。


1)何故、安全じゃないから面白くない、というような人が増えているのか。

言うまでもなくBさんは目的を達成できて、楽しんでダンス場を後にしたし、
後で切り裂きジャックについてどう思う?と聞かれても、楽しめればいいじゃん、とそう答える。

一方で、Aさんはそのダンス場について嫌だと思ったし、
ダンス場には切り裂きジャックがいるものだと考えれば尚更、こんなダンス楽しめるわけねーじゃん、となる。


既にお気づきの通りで、
最近 この AさんでもBさんでもないと思われる【安全論者】というのが増えていると思われる。


【安全論者】の発想の源は、ダンス場をより良くしようとする着眼点であり、
なぜこのような人が増えているかというと、ダンス場をより良くしようという気持ちが高まっているということだと考えられ、
【安全論者】は、ダンス場における最も弱者の立場に立って「安全だと思えば楽しめるのに、なぜ【敢えて】安全でないと思うか?」を訴えているものと思われる。


2)何故、特定ダンススタイルの人や新しくダンス人口を増やそう、という考え方の人と意見が食い違うのか。

Wikipediaによると、安全(あんぜん)とは、危険がないこと、被害(有形・無形を問わず)を受ける可能性がないこと、とある。

【安全論者】の特徴はさきほども書いたとおりで、ダンス場における最も弱者の立場に立っていることで、被害を受ける可能性のある全てのものを対象とする。

ダンサーは一人ひとりが安全を望んでいて、被害を与えようと思って踊っているわけではないが、
ご存知の通り、ダンス場における衝突・妨害などの被害は絶えないのである。

【安全論者】の論旨は、より良いダンス場というものを目指しながら、残念ながらいつしか、予測不可能な異質なもの全てを「切り裂きジャック」として、標的とするような風潮となっているように思える。


さらに残念なことに、
最近、特定ダンススタイルのダンサーや、新しくダンス人口を増やそうというダンサーには、
このような【安全論者】の考えが概ね不評である。

傍から見れば、お互いの論は全く論点がずれていることが分かる。



特にタンゴの場合、槍玉に上がりやすいダンサーの特徴は、次のような点である

・流れに比べて相対的に速い動きをする(半拍以下の動きの多用・コルガーダや遠心力の効いたヒーロなど)
・流れに比べて鋭角または逆行する動きをする(逆行移動・鋭角のサカーダ・オーチョを含む)
・流れの前提となる流線(動線)から垂直の動きをする(追い越しを含む)
・平均的車間距離に比べて相対的に大きい動きをする(横移動・後移動・大きなラピスを含む)
・ヒールを上げる(ボレオ・エンガンチョを含む)
・隣接する開けたスペースがあれば早い者勝ちで移動する

これだけではないが、はっきり言って、どれを取っても、どんなダンススタイルであっても、
こういう風に先生が踊ってくださいと言っているとは思えない驚愕の事柄なのである。

つまり、このようなことは、どのようなダンススタイルの特徴でもないので、
そのようなダンサーがたまたまそのダンススタイルだったからと言って、
一概になんらかのダンススタイルを否定するのは考え物である。



最近は、【安全論者】がこのようなダンサーを槍玉に上げるたびに、
何故か自分のことだと思った論者から一斉にピントのずれた反論を受ける。

彼らの論旨を整理すると、
自由な動きで、オープンなアブラソで「胸をつけて踊らない」ことは、ダンス人口を増やそうとする上で大切だ!

というところだ。

ちなみに、私も「タンゴ増員計画」などという妙なコミュニティをやっているおかげで、
過去にもその手のこと考えたことがあるし、過去の私の日記を見てもらえば分かるとおりで、
ダンス人口を増やすために、幾許かのローカライズが必要であるし、
自分もそういう点については重々承知しているつもりだ。



しかしながら、
それと「安全」は別の次元の話だ。



特定の個人の立場で【安全論者】が意見を述べることは、より良いダンス場を求める上で大切な動きだと思う。

ただ、そのような個人の「安全」の感覚は、絶対的な基準にはなり得ないし、ご承知の通り、既に無用の反発が著しい。
このまま議論が収束していくとも思えない。


そのようなことを踏まえて、改めて書かせていただきたいのは、

「安全」かそうでないかという基準は、
最終的には、個人の判断に委ねるのではなく、ダンス場が設定すべきであり、
そのダンス場において、それを満たせば楽しいという共通の一念をもってダンスが行われればいいのではないか。

ということになる。

2011年6月19日日曜日

衝突の多いミロンガについて

アジア大会の興奮冷めやらぬ中、
風邪でダウンしてしまったので、ミロンガにも行かず、
久しぶりにタンゴのことでも考えることにした。


楽しめる・楽しめないの話は置いといて、

衝突が多いミロンガというのはどういうことか?
それも最近、気になるという人が増えているから、考えてみたいと思っていた。


衝突が多いミロンガというと、実際にミロンガで出くわすと、大雑把な理由は思い当たるものの、
具体的に何が要因である可能性が上がるのか?


タンゴダンサーというものは、
前後左右に自由に動くことができると言われているが、

ミロンガにおいては、
①反時計回りになだらかに動きながら、
②リーダーの周りをフォロワーが一定の距離を置いて動いている
ということなので、

単純化して①と②の動きだけを考えてみる。

以下、

①をミロンガの踊り場に沿って発生する対流の「ドリフト運動」
②をリーダーの周りをフォロワーが動く動きを「ジャイロ運動」

と呼ぶことにして、
タンゴダンサーの動きは、この2つの足し合わせであると仮定する。



A) 「ドリフト運動」に着目した、衝突の可能性と予防策について


まず、ドリフト運動だけに着目して一つの絵を描いてみる。



ものすごくきっちりしたロンダを描く理想的なミロンガの場合、
何となく踊り場の外枠の形を気にしながら、こんな対流が起きそうな気がする。

長方形であれば、最低の1重の対流が起きるし、
正方形に近ければ、何重にも対流が起きることが予想できる。


まず、このドリフト運動が原因として衝突が起きる可能性、について考えてみる。

一つ目に考えられるのは、このドリフト運動のムラ(ばらつき)(※A-1)だろう。

例えば、踊り場にペアが10組いるとして、
体慣らしに10ペア全部が一歩ずつ時速2km/hで歩いている状況を考えてみたときに、
全員が均等に歩き続ければ、当然ずっとそのままみんな歩くことができる。
だけれども、1ペアだけが時速3km/hで歩けば、それだけで衝突が起きるかもしれない。

さすがにそんなにミロンガで直進ばかりしている人たちはいないと思われるが、私の場合、ダリエンソやビアジばかりかかるミロンガなんかは、どうしても直進したい衝動に駆られることもある。あるいはためてためてズンと進むような曲なんかは、激しく大きな一歩で直進したい場合がある。


直進しなくても、「渋滞」のような状況なら実際に起きている。

一般的に、自動車の渋滞は、運転者自身は一定の速度を保っていると思っているけれども、傾斜の変わり目などで起きやすいとされている。
ミロンガについても、おそらくこれに似ているのだと思う。たとえば劇的に曲調が変わる曲、解釈に幅がある曲、などは、普段良く行くミロンガの選曲傾向やダンススタイルの違いが大きく影響すると予想される。こういう曲を、ある程度混雑しているミロンガでかけるとアウトだと思う。

(A-1)について考えられる、主催者側・ダンサー側の対応策。

主催者側:混雑状況とダンサー嗜好・ダンススタイルに応じた選曲。
ダンサー側:できるだけ曲に流されずに、一定の速度で対流を守ろうという気持ち。


ドリフト速度のばらつき、2つ目としては、左右への自由度の高さ (A-2)だと考える。

たとえばさきほどの「理想的な」対流の上で、
ダンサーが踊ったとするならば、どうなるか?

というのが次の絵になる。




実際に踊られる方なら分かる通りで、
ロンダを厳密に守ろうと思わなければ、
横が空いていたら出てみたくなるかもしれない。
対流が2重・3重・・・と多重になればなるほど、左右に行く自由度が増す。

左右および後ろへの移動は、死角も多くなり、
極力避けたほうがいい、というのも当たり前の話。

理想的な踊り場の形状については、
幾人かの日記でもあった通り、
長方形が良いとされるのは対流の形だと考えて特に違和感がない。


(A-2)について考えられる、主催者側・ダンサー側の対応策。

主催者側:できるだけ左右の自由度を減らす踊り場の形。
ダンサー側:できるだけロンダを守ろうとする気持ち。


A-1)とA-2)への最善の努力をして、対流が理想的にできれば、
それ以外のダンススタイルがどうとか、選曲がどうとか、というのは最小の影響になるのではないかと期待している。

特に、主催者の手の届かないことがあるとすれば、
それは、ダンサーは対流の速度とLODをたもつということであり、
そういうことは一人のダンサーとして意識したいものだと思う。



B) 「ジャイロ運動」に着目した、衝突の可能性と予防策について


もっとも、曲に合わせて多様な動きを表現するのもタンゴの醍醐味であるから、
「対流を守ること」と「多様な動きを楽しむこと」はトレードオフである。

そのサジ加減については、ミロンガごとにどういう雰囲気を求めるのか、
ということになると思われる。

ミロンガの主催者が予め情報を公開していないとすれば、
それは後に問題になるかもしれないので、踊り場作り・選曲の両面で慎重に考えたいところだと思っている。


たとえば、以下にTokyo Tango Cityでの例を挙げる。

11日にはじめた La Cadencia @ Tokyo Tango City では、
予め 4m x 6m という長方形を利用して、一重の対流を描くことを念頭においた。





今回のミロンガでは、結果的にセントロの混み具合には程遠かったものの、
平均的に10ペア程度が半径1mの動きをできるペアで賑わった。

報告があがっている中では、
衝突がやはりあったり、狭い間から追い抜かれた、などという例があったが、

踊り場作りと選曲側でどのような工夫ができるか、どのようなトラブルの回避ができるのか、
これから試行錯誤していきたい。


また、中目黒GTホールでの例を考える。

たとえば最近のミロンガでは、12m x 10mという正方形になっている。
対流セルの大きさは理論的には 2.5mで、2重の対流が起きると予想している。




人数として80人~100人。同時に踊るペア数としては、20~40という物であるが、
もちろんLa Cadencia に比べると、かなりゆったりしていることが分かる。

基本的にTokyo Milongaなどはトラディショナルが多めなので、選曲面では十分な配慮があると思うが、
なんとも正方形なのは難しいなぁと最近よく感じる。
それが、形のせいなのか、ある特定のダンサーのせいなのか、よく分からない。

この場所は少人数でヌエボとかでガンガン縦横無尽にやるミロンガの方がやりやすいのだと思う。


長くなってしまったので、これ以降の検討はまたの機会に。

2011年4月9日土曜日

タンゴ の 壁 ~ ラテン と タンゴ のこれからの交流について

サンバでもジャズでもレゲエでもタンゴでも、とにかく私は音楽に合わせて体を動かすことが好きなので、タンゴ以外のダンスも挑戦することにしています。

いろいろやっていくと、そのダンスに潜む共通のルーツみたいなものが感じられ面白いのですが、どうも最近気づいてしまったのは、タンゴってのはそういう他のダンスから見ればかなり外れた存在なんだ、ということです。


どうもこの先タンゴに新しい人は増えていくのかな?と不安になってしまうこともあります。

最近のタンゴイベントには「ラテンのノリ」みたいなものもどんどん感じられなくなってきました。

集まる人の性格のせいでしょうか? 音楽の雰囲気のせいでしょうか? それとも気のせいでしょうか?


サルサの催しではメレンゲやバチャータやもっと色々な音楽はかかるもののタンゴがかかることはまずありませんし、タンゴとサルサを別々に両方楽しむ人というのも一昔前ほど多くありません。



ここのところ色々あって日記を書いてませんでしたので、書きたいことを少しまとめてみたいと思っています。


今日の日記では、

タンゴとラテンがもっと交流を増やせないものか?

たとえば、私ができることとしては、

もっとタンゴの人が他のラテンイベントにもっと足を運ぶようにならないものか?
そして、サルサやサンバやフォルクローレなど他のラテンダンスの人がもっとタンゴにも興味を示してくれないものか?

そんな願いを書いてみたいと思います。



1)そもそもラテンって・・・・

「ラテンのノリ」などと言ったときには、ラテンな国々の何となく陽気なイメージを思いつきますが、みなさんにとっては、「ラテン」という言葉はどのようなものでしょうか。


そもそも「ラテン」という言葉は、古代ローマを中心とした時間的にも地理的にも限定されたモノを表す言葉のようですが、

「ラテン音楽」とこれに音楽をつけた場合は、もっぱらラテンアメリカ音楽のことを指すようです。人によってはジプシーキングスみたいなものもラテン音楽と呼んだりしますが、何となくそのへんの音楽ということで、詳しく書くとボロが出るのでやめます。

また「ラテンダンス」とこれにダンスをつけた場合は、「ラテン音楽」と同時に生まれたダンスのことを指す場合もあったり、社交ダンスのように南米をルーツにするダンスをモチーフにしたものを指す場合もあれば、時によってはアラブ由来やアフリカ由来のダンスなどとごっちゃになっていたりもします。


いろいろあるのはすでに皆さんもご承知のとおりですので、
今日は、日記のためにかなり強引に、次のように定義してしまいます。

 ラテンバーでかかる音楽の総称が「ラテン音楽」で、
 ラテンバーでかかる音楽に合わせて踊る踊りが「ラテンダンス」。


2)ラテンバーでかかる音楽

では、その「ラテンバー」とは何でしょう?

さっそくGoogleで「ラテンバー」を検索してみました。

100件くらいまでインターネットで調べていただくと分かりますが、
だいたいほぼ全てサルサを踊れることを主に謳っているサイトです。

ちなみにサルサ以外にタンゴも謳っていた「ラテンバー」はトロピカーナ(昨年閉店)とキューバンカフェくらいでした。

そう、キューバンも来週でおしまいですね・・・


このように日本で「ラテンバー」と言えばサルサの踊れるバーだと言っても大げさではないということでしょう。
そして、ラテンバーでかかる音楽とは、間違いなくサルサを踊る人に好んで踊られる音楽ということになるのかもしれません。


そういうお店に実際に運べば、
サルサというジャンルの音楽に限らず、
メレンゲ、バチャータ、レゲトンみたいな物は必ずと言ってもいいくらいかかっているようです。

海外はどうか知りませんが、日本では他に、
ズークなどブラジルダンスの催しでサルサが流れたり、
サンバのペアダンスであるガフィエラの催しでサルサが流されたり、
West Coast Swing のパーティでもサルサは頻繁にかかっていました。

サルサを混ぜるイベント全てが同じ「ラテンバー」だと考えるのは乱暴ですが、少なくとも、初心者にも優しく、いろいろな音楽でいろいろなダンスを楽しんで、喋ったり飲んだりという本来の楽しみを第一に求めていく点で共通しているように思えます。

※もちろん、ある程度ダンスを限定したイベントもあると聞いています。


実際に、このような催しで色々なダンスが混ざっていることについて意見を聞いてみると、だいたい以下の3つがあがります。

・サルサ・メレンゲ・バチャータはラテンダンスの共通語
・たくさん踊れたほうが楽しい
・サルサは人口が多いから


3)タンゴは ラテンと何が違うか?

一方で、フラメンコやタンゴ、フォルクローレの集いなんかになると、サルサや他の音楽はほぼゼロになります。純粋にその音楽に専念しているパーティと言えそうです。


たとえば、このようなタンゴバーが「ラテンバー」でない、と言うと語弊があると思いますが、
先に挙げたように「ラテンバー」では、まずタンゴはかかりません。


逆に言えば、そういう催しが成り立っているということは、
タンゴだけで(が)面白いと思う人が多いので、敢えて難しいと分かっている「ラテンバー」的にやる必要が無い、
という一面もあるかもしれません。


フラメンコやインド舞踊なんかで陶酔している空気に、たとえば突然サルサを混ぜたら?

何となく雰囲気を壊すことが予想されますし、敢えて混ぜるメリットがなければ当然寒いだけです。

だから、そういう比較的対象を限定したパーティは「ラテンバー」とは別のパーティと定義してもいいのではないかと思います。


5年ほど前にはタンゴのパーティでサルサがかかっていましたが、今はほとんどかからなくなったということも我々は見てきました。他にフォルクローレを少し混ぜるタンゴパーティも今はあまり見られなくなりました。

かく言う私も、タンゴを踊るならタンゴだけに集中したいと思うことが多いので、少なくともそういうイベントは無くなって欲しくありません。

そんな今では、タンゴの人は、タンゴのパーティで他のダンスが混ざることに冷ややかですが、
サルサの人のように様々なダンスを嗜んでいる人は、タンゴを選択肢の一つとして考えてくれるのかな?それともそれはそれで難しいのでしょうか?

たくさんの踊りを楽しもうと思っている人がサルサに多いという直感が正しければ、
サルサを踊る人がタンゴのような他の踊りを踊り始めることと、タンゴを踊る人がサルサを踊り始めること、その2つの意味合いはかなり違います。

そして例えば、サルサとタンゴの交流を増やすということについて考えると、サルサの人がタンゴを踊ってくれることばかり考えているだけでなく、タンゴの人がサルサを新しく踊るようになる考え方がないと、サルサの人にとって良い交流とは言えません。



一方で全く文化の土台が違うとはいえ、アルゼンチンのミロンガでは合間にかかるクンビアやロックンロールでみんな踊り狂うわけです。そして、北米でかかるようなスィングやサルサもそう。

日本では特に、そういう他のラテンダンスとの共通項を見出すダンサーが少なくなっている傾向を感じています。



私は最近そういうラテンダンスとタンゴダンスが具体的に何が違うのか眺めて来ましたが、次のような3つの違いに集約されるような気がします。

ラテンダンスとしてのタンゴは、この先どういう交流を作っていくことができるのでしょうか?
その足がかりとして、さきほど挙げた3つの違いを見ていくことにします。

A) ダンススタイルの違い
B) フロアシステムの違い
C) ライフスタイルの違い

そういう違いがあるから、
タンゴバーでは、サルサなどでは成り立つような「ラテンバー」的な催しが難しいのだと思われます。


※注
ちなみに以下、ラテンバーでかかるような主にスペイン語圏のポップス、ブラジル・アフリカンダンスの一部を併せて、「ラ」とヒトククリに書かせていただいております。サルサと一緒にするな!と思われる色々なダンスを嗜まれるダンサーさんがたくさんいらっしゃることと思いますが、あくまでもラテンバーでごちゃまぜにDJがかけていることをだけ観て私が受けた印象をベースに勝手きままに書いております。予めご了承ください。
タンゴは「タ」と書いています。そしてその下に「タ→ラ」と書いているのが、タンゴの人がラテンダンスへ手を出す上での、私の考える留意点みたいなところ。「ラ→タ」と書いているのが、ラテンダンスの人がタンゴに手を出す上でのそれです。

以下は、ラテンダンサーとタンゴの交流を深めていきたいという同じ思いの人への、私の勝手きままなコメントです。
お時間のある方はお読み下さい。


4)ダンススタイルの違いについて

「ダンススタイル」とここで書いているものは、ダンスの形や動きに起因する現象、そして一人あるいは二人に表れる性質です。


<周期性>・・・×(かなり違う)

ラ)サルサ・バチャータ・ガフィエラ・ズークでは4拍・8拍・32拍というところで一つのステップ周期があります。むしろ、ラテンバーでかかる音楽・かからない音楽の差はこの4拍が聞き取りやすいかどうか&踊りやすいテンポじゃないかと思います。

タ)4拍子のタンゴと2拍子のミロンガは無周期的に踊られます。ヴァルス(ワルツ)でも3拍子に捕われるように習いますが基本的に無周期です。タンゴの中級者にもなれば、4拍・8拍・32拍というフレーズの流れを何とか踊りに表現しようとします。フレーズ感という点で共通した感覚はあるのだと思います。

☆この違いをどう考えるか

タ→ラ)タンゴだけを踊る人がこの「4拍」へ挑戦することは、はっきり言って地獄の苦しみだと思います。タンゴの人がそのような拍を楽しむようになる、何か魅力的な考え方が必要だと思います。海外の方はどういう風なんでしょう?

ラ→タ)逆にラテンダンスの人が「4拍」のしばりを外すこと、また別の難しさがあります。しばりのステップがないから、じゃあ何をもって踊ればいいの?ということになります。「止まる」ことへの抵抗についても、何かしらの策が必要です。



<音楽の曲調>・・・△(やや似ている)

ラ)全体を把握しているわけではありませんが、長調が多いというのは間違いないと思います。

タ)タンゴには短調がやや多い気がしますが、ミロンガでは長調が多い?



<音楽のテンポ>・・・○(かなり似ている)

ラ)4/2や6/8もあるので一概に言えませんが、4/4のラテンダンスのテンポは割と近いと思われます。

タ)タンゴ・ヴァルス・ミロンガそれぞれかなりテンポは均一で、おそらくラテンダンスと同等だと思いますが、実際に比べたわけではありません。



<動きの速さ>・・・×(かなり違う)

ラ)動きについても、それぞれ全く違うので一概に言い切れそうもないのですが、それぞれのダンスに合理的な動きと音楽の味わいがあります。ただ、一拍一歩や三歩一休のペアダンスについては、テンポが同じだとステップの速さも同じくらいになるのだと思います。サンバとかめちゃめちゃ速いですけど。この前やったアシェ(ブラジルのエアロビ?)というやつはペアダンスじゃないですが速くて面白かったです。

タ)ミロンガとヴァルスについては他のラテンダンスとほぼ同等だと思いますが、タンゴについては止まっていることもあるのでかなり違うということになります。ヴァルスとミロンガについては、こういう点でラテンバーですんなりと受け入れられる日々も想像できます。

☆この違いをどう考えるか

タ→ラ)日本人が英語を習うときのように、速い周波数に慣れましょう、ということかもしれません。

ラ→タ)さきほども拍のことに触れたときに考えましたが、止まることとゆっくり動くことはタンゴの醍醐味でもあるので、この味わいをうまく伝えないといけません。



<曲の楽器感>・・・×(かなり違う)

ラ)同じくそれぞれルーツが違うので一概には言えませんが、ラテンバーでかかるスペイン語圏のポップスだけを聞いてみると、楽器感がある程度近い印象があり、ボンゴやらコンガみたいな音にベースでリズムが脈々と刻まれています。また、ヒトククリにしてしまうといけないのですが、ブラジルの音楽は楽器感がかなり違います。

タ)タンゴ・ミロンガ・ヴァルスについては、多くの場合ラテンバーのそれとは異質です。クラシックを弾くような楽器がメインで、ラテンバーやブラジル料理屋でかかる音楽とはだいぶ質感が違います。タンゴの音取りと質感についてはまた思うところがあるので他の機会に。

☆この違いをどう考えるか

タ→ラ)こればっかりは音楽性が合わないなどと思う人にはしょうがないかもしれませんが、タンゴ人にも打楽器で眠れるラテントランス状態が覚醒してくれる人がいるでしょうか。ラテンよりもブラジル音楽の方が普段から聴いているという人は、そっちの方が楽しいのかもです。

ラ→タ)<調査不足のためコメントできず> 質問:サルサとか踊る人は、タンゴの演奏ってどう思うんでしょう?古臭いとか?



<曲の年代>・・・×(かなり違う)

ラ)言うまでもなく近年のポップスが主体という印象がありますし、古いと言ってもLP時代のような気がします。逆に他ジャンルの古い音源を踊ってみたいので、古い音を選ぶパーティがあれば教えてほしいです。

タ)タンゴは1950年より古い曲、特にLPの前のSPの時代の音源が主体で、そのへんは他のダンスの方々からするとクレージーに映るところだと思われます。しかしながら、踊り向きのタンゴは1940年代が商業も技術もピークだと言われるくらいです。日本には特にコレクターが多いので、ブエノスよりもやたら古い音源なんかもかかるパーティがあります。もちろん現代タンゴやピアソラなどを好むDJもいます。

☆この違いをどう考えるか

タ→ラ)ブエノス崇拝とレトロ崇拝みたいな感覚が元々ある人は、ちょっとサルサバーとか始めは馴染めないかもしれません。ポップスに耳慣れしている人が向いているのでしょうか。

ラ→タ)楽器感と年代が違うと、音取りの質感がだいぶ違います。やはり聞いて好きかどうかでしょうけど。幸いヌエボタンゴというジャンルもありますので、そちらも良かったら探してみてください。



<アブラソ(抱擁)>・・・△(やや似ている)

ラ)アブラソの形についてはラテンダンスのどれも共通と思われます。オープンなもの・クローズなものがありますし、詳しくみれば色々それぞれあると思います。ボレロやガフィエラなんかは見た目はタンゴにとてもよく似ています。

タ)タンゴで普通に見られる密着したクローズなアブラソについては、サルサの人から見るとあまり踊りたくもない相手とあの密なアブラソをやれるのが信じられない、というのをたまに聞きます。さきほどもタンゴヌエボと書きましたが、ヌエボやモデルノと呼ばれる結構オープンなタンゴもサルサの人には意外と知られていない気がします。

☆この違いをどう考えるか

ラ→タ)あまり違いはないのですが、タンゴくらいのクローズなアブラソだけは、他にはバチャータのデモダンスくらいでしか見たことないくらい始めは抵抗があるものかもしれません。全くダンスを何もやったこと無い人よりは、ラテンダンスをやっている人の方が受け入れやすいかもしれません。ラテンのあの、オープン⇔クローズな着脱感みたいなものが、サロンタンゴにも感じられる人もいるようないないような。

タ→ラ)タンゴの人がアブラソで苦しむことは無いでしょうね。



<魅せ方・アドリブ>・・・×(かなり違う)

ラ)リーダーとフォロワーが単独で自由に踊るようなことがあります。そういう意味でラテンバーのダンスはタンゴと比べて開放的だと考えられます。サルサのシャインや、ズークの女性の髪の毛の舞を見たことがありますか?踊っている同士がお互いに視覚的にアピールする機会があるのが特徴。ラテンバーから離れても、セビジャーナスやフォルクローレの魅せ方に見られるようなアレです。

タ)ショーダンスの振り付けはともかく、サロンダンスでは視覚的なアドリブよりも音取りのアドリブが重視される、と言って間違ってないと思います。相手がどんなきれいな風貌であってもたいして意識しませんが、音取りと動きから間接的に伝わってくるものが何よりも魅力だと思います。ショーダンスについては簡単には語りつくせませんが、またそれ独自の良さがあります。

☆この違いをどう考えるか

タ→ラ)ラテンの中に見られる、同じ一曲の中でオープンとクローズを切り替える着脱感みたいなものが心地よさだったり官能性だったりするかもしれません。それぞれのダンスの魅せ方についてももっと探求していきたいです。特にズークが開放的だといわれる理由は、習った初日に理解できると思います。

ラ→タ)タンゴで一番誤解が大きそうなのがこのへん。ショーダンスのタンゴの印象が強いのか、ド派手なパフォと官能的な衣装そして重厚な音楽が印象付けられているかもしれません。地味にしようと思えばどこまでも地味にできるタンゴのよさをどう感じてもらえるかな?



<リードとフォロー>・・・×(かなり違う)

ラ)左右のリードはどのダンスも近いと思われますが、前後の動き・回転などのリードはあったり無かったり違ったり、それぞれ独特なところがあります。というか、まだそこまで語りきれないので、こんなところで。

タ)ピボット・踏み替え、をあくまでもリードで行うというのはタンゴの特徴だと思います。タンゴの場合、アドリブ主体でステップが作られていくので、ちゃんと理にかなったリードとフォローが出来ないと相手も辛いということがあると思います。またここが差の原因になっているとは思います。

☆この違いをどう考えるか

タ→ラ)ガフィエラみたいにタンゴと似ているけどピボットやLODやなんかよく分からないけど細かいところが違うところなどもあったり、たぶん過去にタンゴも経験しているか察知してくれる先生に習うのが良いかもしれません。私にとってはタンゴ経験もある他ダンスの先生の言うことはとても理解しやすかったです。そうでなければ、ダンス未経験者の方が似ているダンスをやってきた人よりも早い部分もありそうです。

ラ→タ)同じように、どういうダンスであろうと、全くのダンス未経験者を相手にする教え方よりも、その過去の履歴を察知してくれる人の方が良いのでしょう。



5)フロアシステムの違いについて

実はあまり研究したことが無いので分かりません。有識者のお知恵をお借りしたく。
サルサとタンゴでどのような違いがありましたっけ?

<座席>・・・△(やや似ている)

ラ)基本的にそんなに差はないと思いますが、踊りもそんなに大きくないしフロアのあちこちを駆け巡るダンスというわけでもなさそうなので、踊る前に雑然としていても本来あまり構わないと思うのですが、1曲ごとにフロアクリーニングの考え方が徹底しているような気がします。カップル席とかあるのでしょうか?

タ)タンゴはダンスフロアの対流?があるダンスなので、人数とフロアの大きさと座席の位置は結構神経質に計算します。タンゴでは、男性席・女性席と分かれている場合があります。


<明るさ>・・・○(とても似ている)

ラ)日本では比較的暗くします。ダンスによってどういう経緯があるのかは分かりません。

タ)日本では比較的暗くします。ブエノスアイレスでは比較的明るいようですので、日本で暗いタンゴイベントが多いのは、社交ダンスではなく、クラブイベントの影響の方が強いのでしょうか。


<誘い方>・・・○(とても似ている)

ラ)サルサの誘い方って皆どんな感じですか?他のダンスは? 私の印象では、割とフレンドリーに手を捕まえて誘ったり、目の前で誘ったり、目で少し離れたところから誘い合う人もいるかな?エスコートは見られません。

タ)タンゴではだいたい似ています。


<その他エチケット>・・・△(やや似ている?)

ラ)他のダンスではどういうエチケットを気をつけますか?

タ)タンゴでは、やっぱり密着するので口臭・雑菌臭・たばこ臭・汗などは最低限気をつけます。セクハラなんかの感覚は少しサルサダンサーなどと感覚は違うかも。


6)ライフスタイルの違いについて

<習い始め→中級者>・・・×(かなり違う?)

ラ)他のダンスを長い間やっている分けではないのでちゃんと書けませんが、少なくとも習い始めでは、パーティで楽しむことが第一として、楽しめるためのとっかかりを教えてくれる先生が多い印象があります。次に中級者としては、次にどこを目指すのでしょうか?パフォとか?ぜひ他ダンスの方にご意見を伺いたいところです。

タ)タンゴは歩くこと以外にとりたてて明確なステップが無いので、自分で音からステップを作れるようになるまでの敷居が高いと思います。もう誰もが初心者はタンゴを楽しめないという前提で何もかも行われている気もします。そのせいか、本当に初心者向きのイベントというのはタンゴでは少ないですし、今既にタンゴを踊れる人にとっては初心者の苦悩なんてのは過ぎ去ったことであるかのように置き去られます。初心者が楽しむ為の畑というものを皆で考えたいところです。これはタンゴの人にお尋ねしたい。韓国では定期的に行われているようなビギナーズ・ミロンガ?こんどチノミホがやりますけど、そんな企画が大切かなぁ。

☆この違いをどう考えるか

タ→ラ)おそらくタンゴの人にとっては、音楽性やリードや「4拍」の悩みが解決するのであれば他ダンスを楽しみ始める土台はたくさん広がっていることと思います。

ラ→タ)他ダンスからタンゴを体験できるのはミロンガ前レッスンがありますが、そこから実際にミロンガへの壁はなかなか高いと思います。そういう橋渡しができるような初心者向けイベントなどがこれから増えるといいなと思います。


<演奏・歌・ルーツ>・・・?(?)

ラ)ラテンのみなさまは、歌とか演奏とかどのくらい興味があるんでしょうか?そういう接点はありうるのでしょうか? サンバでは歌・演奏・踊りの「三位一体」を楽しんでいる方がいます。ルーツを探るという意味では、やはりそれぞれのダンスで探ってらっしゃるのではないかと想像していますが、いかがでしょうか?

タ)演奏について、最近ダンサーのみなさんが神経質になってきた気がします。とてもいいことだと思います。私たちはタンゴでの「三位一体」というところを探している最中ですが、歌についてはスペイン語ということもあり、なかなか自然な接点は作れません。


7)既に行われている交流、そしてこれから。
個人的に思うには、異なるダンスとの交流のポイントだと思うことは、

① 体験してもらうこと!
→ 見るだけ聞くだけよりも、やっぱり体を動かしてもらう
e.g. 超初心者レッスン、体験レッスン

② 体験すること!
→ 自らが外との接点を探していく

③ 初心者の楽しみの場を提供すること!
→ 始めたい、と思ってくれた人の楽しみの場を作っていく

ということだと思います。


昨日は、友人のランスロットさんが主催する、ラテンイベントに顔を出して来ました。

ラテン コラボラシオン
http://www.laticola.com/


70~80人くらいいたのかな?
沢山の色々なダンス出身の人、もしくはダンスは始めての人などが集まっていて、
そんな中で、あや先生がガフィエラの体験レッスン、天野先生がタンゴの体験レッスンをやっていました。

こういうラテンダンスでの異文化交流は、もともとそういうことを楽しいと思う人が集まっているということもあり、
本当にみんな楽しくタンゴも体験してくれます。

他には毎週土曜にセキヤさんが G-BOX でやっている「宴」のイベントもおススメです。
こちらは週ごとに違うダンスがメインです。 ☆ガフィエラ→ズーク→サルサ→タンゴ


個人的には、
もっと「レッスン屋台」的なコラボレーションや、ライブなどと連動した集いもあっても良いかと思っています。



そして最後に繰り返しになりますが、
特にタンゴ出身の人が他のダンスに挑戦する、
ということがやはり現状あまり例が少ないです。

他のラテンダンスの人をタンゴに取り込むことだけでなく、たとえアマチュア主導であっても、もっとタンゴの人が他のダンスを楽しむための試みを進めてくれたらいいなと、個人的には思います。


日本においても、他の文化と互いにレスペクトしあえるような関係は、やっぱり誰かが築いていかなければならないものだと思います。多分それは、我々のような地球の裏側の人がラテンの文化をレスペクトしていけるかという話のような気もしています。


今タンゴにも、縦(ダンスの深み)と横(ダンスのつながり)の充実感が求められていると思います。

2011年2月1日火曜日

タンゴの分類

なにやら難しいことを書こうとして行き詰ったので、とりあえず皆さんに見てもらって叩いてもらおうとおもって、とりあえず書きます。


ロジェ・カイヨワ(=フランス:社会学者)という人が『遊びと人間』という本の中で「遊びの分類」というものを書いています。


で、その「遊びの分類」というものを使って「タンゴの分類」を探る、という危険な話に入る前に、個人的な前置きをしておきます。

タンゴというのは文化として時と共に変化してきたものであって、人によってはルーツのことをさす人もいれば、歴史的な成り行き全てをさす人もいれ ば、現在の姿や自分の感じているものをさす人もいたりするものであり、アルゼンチンの人からすれば生活の一部であったり、はたまたハレの舞台であったり、 そしてそれは民族の証であったり、芸術であったり、コミュニケーションツールだったり、スポーツであったり、収入源だったり、コレクションだったり、憂さ 晴らしであったり、癒しであったり、懐かしむものであったり、穢れていてフタをしたくなるようなものだったりするということでしょう。

「タンゴ」とは何?と言って誰も答えられないものなので、タンゴを分類しようとみたところでたいした成果はないと思いますが、最近は「タンゴ」と いうものをいろんな人がいろんな意味に使っていて、しょうもないことでぶつかりあって、いつまでも分かり合えないままになっていて、ただでさえ生き証人が 一人減って二人減ってといくこのご時世であるから、自分の立ち位置やお互いの距離感、そして先駆者や先生方や新しいことをやろうとしている人を理解するた めに、何かしら整理しはじめてみようではないかということです。


そういう前置きがあって、自分なりに思いついたのが、「遊びの分類」というものを使って「タンゴの分類」を考えてみよう、ということです。

そもそも「タンゴ」は「遊び」なのだろうか?ということがあります。


☆遊びとは

このカイヨワという人が挙げた「遊び」というものは、『ホモ=ルーデンス』で有名なホイジンハという先人の知恵をベースとして、次のような 6 つの活動のこととしています。

1) 自由な活動・・・強制された活動ではないということ
2) 分離した活動・・あらかじめ定められた厳密な時間および空間の範囲内に限定
3) 不確定の活動・・あらかじめ成り行きがわかっていたり、結果が得られたりすることはない
4) 非生産的な活動・財貨も富も、いかなる種類の新しい要素も創り出さない
5) ルールある活動・通常の法律を停止し、その代わりにそこだけに通用する一時的な約束に従う
6) 虚構的活動・・・現実生活と対立する第二の現実、あるいは、全くの非現実という特有の意識を伴う

ご存知の通りで、タンゴには商業的な側面や学術的な側面がありますので、完全には「遊び」といいきれずに生産的だという性質は忘れてはいけません し、何より現地の人々にとっては生活そのもの、そして現実であるということもまた、タンゴの側面であります。だから、タンゴを「遊び」として考えるとき は、そういう事を弁えて慎重に考えなければなりません。ちなみにホイジンハが「遊び」の反対語として挙げている言葉は「真面目」でした。


☆遊びの分類

肝心な「遊びの分類」は4つに分けられていて、難しい名前ではあるものの、次のようにイメージは分かりやすいものです。

A) 競争(アゴーン)・・・筋肉的性格の競争(スポーツ)と頭脳的性格の競争(パズル・チェスなど)
B) 機会(アレア)・・・・遊ぶ人から独立の決定、遊ぶ人の力が全く及ばない決定を基礎とするもの(サイコロ・ルーレットなど)
C) 模擬(ミミクリー)・・閉ざされた約束事に基づき、自分自身が幻想のなかの登場人物となり、行動すること
D) 眩暈(イリンクス)・・一瞬だけ知覚の安定を崩し、明晰な意識に一種の心地よいパニックを引き起こそうとするものである。


そして、もう一つの概念として、パイディア ⇔ ルドゥスという度合いがあって、簡単に言えばルールで縛られるかどうか?みたいなものです。ルドゥスの方が、ルールでガチガチになっている方です。詳しくは下のページを参考にしてください。

雑誌『談』編集長によるBlog [パイディアとルドゥスという軸は何を示しているのか。]  
http://dan21.livedoor.biz/archives/50441223.html


□「競争」としてのタンゴ

本当か嘘か知りませんが、港町でタンゴが生まれたころに売春婦を取り合うために男がタンゴを踊りあって競争したとかしなかったとか。日本でタンゴ が一世風靡したころのキャバレーではタンゴが一番のトリをつとめていて、一番おいしい思いをするためにタンゴをうまく踊ったとか踊らなかったとか。そし て、最近は選手権のようなものにみんなが夢中ですね。

おそらく生まれた頃のタンゴに見られる競争は、かなり原始的なパイディアな雰囲気があってさながら、オスのペンギンがメスを探しているのと同じよ うな感じだったに違いありません。それが時と共に段々洗練されて、選手権みたいなことになって、「タンゴは優劣をつけるものではありません」と皆言いつつ も、今に至っては、大きな流れとなっているのは間違いありません。ちなみに、検定試験みたいな類のものもありますが、選手権とは違って「競争」というよりは後述の「模擬」に類するものだと思います。

今後見られるであろう「競争」の形態としては、筋肉的な競争と頭脳的な競争の極限でしょう。たとえばずっと昔妄想したのは、以下のようなアホみたいなものでした。しかしながら、果たしてそこにタンゴはあるのか?
http://mixi.jp/view_enquete.pl?id=4022469&comm_id=471691
http://mixi.jp/view_enquete.pl?id=11313470&comm_id=471691


□「機会」としてのタンゴ


カイヨワも言っていますが、機会(アレア)というのは(他の動物には無い)人間ならではの高級な遊びだそうです。ランダムで無秩序なところを楽し むということですが、おそらく場末で誰かがギターなんかで歌いだした曲でたまたまそこに居合わせた人と人が踊りだす、という原始的なサロンというのが思い つく限りの「機会」の楽しみです。タンゴの持つ一期一会の楽しみだと思います。そして、今では少し秩序立って、DJのような人がいてミロンガのような催し が楽しまれるわけです。これ以上のルドゥスは私には思いつきませんが、いかがでしょうか。また、タンゴ・ヌエボに代表されるように、形式を破壊して楽しむ タンゴもあります。これはそれなりにパイディアな気がします。

今後見られるであろう「機会」の形態としては、一期一会の極限と、ヌエボな極限(ムーブメントや音へのレスポンス)でしょう。面白いと思う人がや ればいい、ただそれだけだと思います。しかしながら、果たしてそこにタンゴはあるのか?


□「模擬」としてのタンゴ


真似して喜ぶ、というのは、ミラーニューロンなんかの話も流行っていますが、猿とか鳥だけじゃなくて虫けらにも見られる遊びです。一番の原始的な「模擬」のパイディアは、とりあえず格好いい踊りや 弾き方を真似てみる、歌を真似してみる、というところから、セッションの喜びなどもあったことでしょう。おそらく港町で見られた合唱や合奏の盛り上がり は、タンゴ初期にも関わらず早い発展を見せたので、これが黒人奴隷+西洋器楽の作り上げた奇跡なんでしょう。レコードとして配布されたタンゴが、コレク ションとしての「模擬」、そして形式を模擬して新しいものの需要を作りあがられていったということでしょう。演奏スタイルやダンススタイルというものは言 うまでもなく「模擬」でしょう。そこからオリジナリティを生み出すところはまた別の楽しみかもしれません。それから、忘れてはいけないのは、仮面・変装と しての「模擬」もあります。非日常・非現実を楽しむところも「模擬」でしょう。カイヨワが言っていますが、「模擬」は「競争」と結びつきやすいようです。

今後見られるであろう「模擬」の形態としては、タンゴスタイルのようなものがどんどん名乗り出されるのか、ルーツタンゴの追求か、はたまた非日常 タンゴの追及か、そして、やはり選手権は模擬テストになっていくのか?そして、果たしてそこにタンゴはあるのか?(ついつい最後に毒を吐くくせがついたみ たいです。この場を借りて関係者には予め謝罪しておきます。)ルーツタンゴの追求、良いじゃない。もっとみんなでタンゴセッションみたいなものもやってみ たいでしょう。あ、でも重要なことが埋もれています。サロンを楽しむというところをもっと追求していくのは「模擬」の遊びですから、そこに期待したいで す。カイヨワの定義にある、「演劇」やスペクタクル芸術としてのタンゴが今後芽生えるかもしれません。


□「眩暈」としてのタンゴ


「眩暈」という言葉が強い印象があるので誤解されそうですが、カイヨワによって、パイディアの例に挙げられているのが子供のくるくる回りや回転木 馬、ルドゥスの例に挙げられているのがスキー・登山や綱渡りだそうです。そして中間に位置づけられているのがワルツを踊る、という行為だったりします。原 始的な「眩暈」はどういうものだったか、ミロンガが秩序立つ前の粗野なサロンはかなりの大技が繰り広げられていたそうですね。パッと思いつくでしょうが、今のショーダンスなんてのは「眩暈」に分類されるも のなんでしょう。「機会」にも挙げましたが、タンゴ・ヌエボなんかも新しい「眩暈」ということでしょう。トランス状態という意味で、クラブのようなところ で音楽的な眩暈を追求してみるのも面白いです。

今後見られるであろう「眩暈」の形態としては、単純に考えれば体操・スポーツとしてのタンゴの追求ということになりましょう。音楽としての「眩暈」、そして雰囲気的な「眩暈」を追求していくというのもあるでしょう。しかしながら、果たしてそこにタンゴはあるのか?



未整理で申し訳ありませんが、勝手ながら個人的には書いてみてかなり頭がすっきりしてきました。もっときっちりまとめられる方、大募集です。そしてさらに新しい可能性を見出せる方は各自新しい可能性を追求してください。私はもっとルーツを追ってみたいと思っています。

2011年1月22日土曜日

タンゴの間

空間的な間、時間的な間。

ギターを習ってみて感じたこと。
ギターで作った音楽にはギターの間がある。

サンバを習ってみて感じたこと。
サンバ・ノ・ぺが作った音楽にはサンバ・ノ・ぺの間がある。

日本の古来音楽だって、タンゴだって、フラメンコだって、由来があるものには、そういう間があるはずだ。


そういうものが大事。


そしてそれを解釈する側がどう感じてどう思うか。

日本人だから日本人ならではの生活や言語による学習にもとづく生理的な反応は覆せない。
無理に真似しても心技体が一致しない。

日本人だからタンゴはやるなと言ってる訳ではないが、ブエノスで起きていることを形だけ真似するのは、結果から見ると格好悪い。

日本人らしい表現があって然るべきだと思う。



角田忠信さんという人の書いた「日本人の脳」という本には良いことが書いてある。ある音を右脳で捉えるか、左脳で捉えるか。母音優勢の言語かどうかが一つのポイントだそうだ。

日 本語とスペイン語は、どちらも母音主体の言葉だから、感性が一緒なんじゃないかとも思うが、あのフラメンコの歌声もタンゴも日本の演歌もそれぞれ明らかに 違う間があり、違う表現がある。言語の作りだけでなく、生活習慣や古来の文化が溶け込んでいるから、そんなものはよそ者には分からない。


最近タンゴをクラシックぽく優雅に軽やかに弾いたり、量産型のダンススタイルのような謳い文句で形だけ教えたり、実につまらない。

あれは社交ダンスみたいなもので、形式を楽譜やステップ表記のようなもので伝承効率を上げることに重きをおいているものだ。


タンゴを普及するというときに、そういう効率の良いものをやるのは簡単だが、もっとブエノス古来の本質をもちこむことはとても難しい。ブエノススタイルを形だけを真似て大成できる人は一握りだし、そこに疑問を感じるのが日本人として当たり前なんだと思う。
そして日本人としてタンゴをソシャクしていくことが、本当はタンゴの真の普及なんだと思う。