2009年12月23日水曜日

タンゴと疑心暗鬼

タンゴと他のラテンダンスを比べてみると、
やはり差が顕著なのが、そのタンゴ独特の内向性だろう。

また、タンゴのサロンダンスほど
その瞬間の即興性・その場への適応性が求められる踊りは無いかもしれない。


それだから、踊る男女は、その肉体の物理的近さだけでなく、ある程度の精神状態の集中と一致が無いと踊りにならない。

逆に言えば、
一旦何らかの疑いや不安が芽生えると、
不思議なことに踊れなくなる。

たとえば、
この人は私と踊りたくないのではないか?とか
この人は営業目的なのではないか?とか
この人は前にひどいことを言ったから嫌われているのではないか?
などと一旦疑いはじめると、踊りはその時点で終了する。

その人と踊れなくなるということは、
その人と交流が途絶えることを意味する。


それは、踊っている同士だけでない。
DJも音楽を奏でる人も酒を飲む人も踊りを見ている人も音楽を聞く人も。
全ての共感が無いと、場が完結しない。

そこでも、
一旦何らかの疑いや不安がはびこると、
不思議なことに場が盛り上がらなくなる。

たとえば、
あの人はあちらの人と仲が悪いらしい、とか
あの人はああいう曲をかけると踊らないらしい、とか
あの人はXX先生の生徒としか踊らないらしい、
などと言い出して噂の渦が巻き起こる。

そして、
ある人はそこに出入りしなくなる。


そしてこれは、ある一つの踊る場所に限定された話ではない。
タンゴに関わる人すべて、あるいはタンゴのことを小耳に挟むすべての人、
全ての共感が無いと、タンゴそのものが盛り上がってこない。

そこでも、
一旦何らかの疑いや不安に蝕まれると、
不思議なことにタンゴから足が遠のく。

たとえば、
タンゴの人は夜乱れた生活らしい、とか
タンゴの人は体をむやみに触ってくるらしい、とか
タンゴの人は社交ダンスを小馬鹿にしているらしい、とか

そんな簡単なことで
人が来なくなる。


それだから、
「場を盛り上げる」「踊りを気持ちよくする」そして「タンゴを盛り上げる」ということについて、

単純に値段やパフォーマンスの質やDJの選曲や踊りや音楽のスタイルだけで議論するのは早計で、
(もちろんそれも大事ですが)

そういった、様々な疑いを絶ち、疑心暗鬼を抑えていくのが、
タンゴにかかわる一人一人の役割であると思うし、
とくにタンゴにおいては、やはり一番大切なことなのではないかと思う。

次の時代のタンゴが盛り上がるか、盛り下がるか、

我々の心がけしだいだと思います。

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