2008年2月29日金曜日

ぶらりサンフラン3日目 ~ 極上の異空間 El Valenciano

結論からいうと、
ここが一番好きです。

古い時代にもぐりこんだような空間。(これがアメリカなのかもしれないが)
そして、恍惚とした踊り手がいて、ワインとテーブルがある。

選曲も好きだ。


※ややせまいので混むと中級者以上向けになる。
El Valencianoの雰囲気。
入場10ドル。ワイン7ドル+チップ


サンフランシスコでもっともお気に入りなTraditionalなミロンガのひとつです。
この日のDJはD'arienzo,Calo,Biagi,De Sarliなどが中心でした。

通りの雰囲気(昼間)

大きな地図で見る

2008年2月27日水曜日

ぶらりサンフラン2日目 ~ 徒歩でPractica

結局2時間くらい暗い道を歩いた。
後から聞いた話では、The BEAT付近のSan Pablo 通りは殺人事件多発地帯らしいので歩かない方がいい。


歩いたコース Ashby(BART) -> Downtown Berkeley(BART) -> The BEAT

大きな地図で見る

BerkeleyあたりのGoogle StreetView(下の実動画と同一のBerkeleyの交差点)

大きな地図で見る

上のポイントの実写


The BEATでのOrange Practica (※実際はもっとタンゴがメインでかかります!)

2008年2月26日火曜日

ぶらりサンフラン1日目 ~ 2度目のTango SOMA

観光客としてはあまり感銘がないミロンガだが
地元の人から愛されているミロンガの一つなのではずせない。


入り口はやはり難易度が高く
目の前まで行っても間違えているとしか思えない。


Tango SOMAへの入り口

大きな地図で見る

ケーキやワインなんかが目いっぱい出てくるので
そのへんもいいかと。

この日はビデオやカメラを忘れてしまったので
代わりに町を歩いたときの動画をどうぞ。


サンフラン市街の様子その1


サンフラン市街の様子その2


Tボーンステーキ

2008年1月30日水曜日

踊りやすい曲を求めて⑥踊りやすさにまつわる3つの仮説

バイラブレ という言葉を
Google ブック検索で探してみた。

さしずめ「ダンス向きの」とか「踊りやすい」、
もしくは単に「ダンス用の」
という用法が多いであろうか。

e.g. Caras y caretas
e.g. Club de Tango

元来、「ダンス向き」「踊りやすい」などという言葉は
その人が思うままの主観的な表現であるはずであって、
それを定義しようとすることはナンセンスに違いない。

にも関わらず、

何らかの過去の経緯を経て

一般的に「ダンス向き」「踊りやすい」だとされる曲という概念について
何となく共通認識が出来上がっているもののようにも思える。

もちろん
タンゴを少し踊ったことある人ならば

そのように「ダンス向き」「踊りやすい」だとされる曲が
本当にその踊り手にとって「ダンス向き」「踊りやすい」かと言うと

そうとは限らない事をよく知っている。

さて

今まで「踊りやすい曲を求めて」と題して
過去何回かに渡ってたわいもないことを書いてみたものの、

やはりそこに「踊りやすさとは・・・」というオチをつけるために
何らかの科学的、願わくば定量的な仮説検証を行う必要がありそうだ、
と言う勝手な結論に達したため、

今回まずは
その土台となる仮説を立てようではないか。
ということで何となく仮説を披露することにした。

賛成意見・反対意見に関わらず幅広くご意見募集します。

「バイラブレ」にまつわる3つの仮説(クリックしてみませう)


※3つ目のはたとえば「速すぎるのはダメ」とか、そういう類です。

2008年1月29日火曜日

踊りやすさにまつわる3つの仮説

バイラブレ という言葉を
Google ブック検索で探してみた。

さしずめ「ダンス向きの」とか「踊りやすい」、
もしくは単に「ダンス用の」
という用法が多いであろうか。

e.g. Caras y caretas
e.g. Club de Tango

元来、「ダンス向き」「踊りやすい」などという言葉は
その人が思うままの主観的な表現であるはずであって、
それを定義しようとすることはナンセンスに違いない。

にも関わらず、

何らかの過去の経緯を経て

一般的に「ダンス向き」「踊りやすい」だとされる曲という概念について
何となく共通認識が出来上がっているもののようにも思える。

もちろん
タンゴを少し踊ったことある人ならば

そのように「ダンス向き」「踊りやすい」だとされる曲が
本当にその踊り手にとって「ダンス向き」「踊りやすい」かと言うと

そうとは限らない事をよく知っている。

さて

今まで「踊りやすい曲を求めて」と題して
過去何回かに渡ってたわいもないことを書いてみたものの、

やはりそこに「踊りやすさとは・・・」というオチをつけるために
何らかの科学的、願わくば定量的な仮説検証を行う必要がありそうだ、
と言う勝手な結論に達したため、

今回まずは
その土台となる仮説を立てようではないか。
ということで何となく仮説を披露することにした。

賛成意見・反対意見に関わらず幅広くご意見募集します。

「バイラブレ」にまつわる3つの仮説


※3つ目のはたとえば「速すぎるのはダメ」とか、そういう類です。

2008年1月13日日曜日

踊りやすい曲を求めて⑤Miguel Caloを聞く

個人的には
踊りやすい曲といえば
Calo か Biagi かと思っていますが、

これがなぜ踊りやすいか?
と聞かれると

はて?
まぁリズムがはっきりしていて・・適度にメリハリがあって・・
などとあまりはっきりしたことは言えないわけであります。

とりあえず
曲のスペクトルをリアルタイムに見れる FFTWave というソフトがあったので
Miguel Calo の珍曲 Ya Sale El Tren のスペクトルを取ることにしてみました。

まずはご覧下さい。

※縦軸はオクターブ(上が低音 下が高音)、横軸が時間、色は赤が強い音です。



ポイント1:笛~走り始め
Miguel Calo:笛~走り始め

笛が鳴って汽車が走り始めるという出だしの部分です。
笛のスペクトルが、ほぼ単音に近いのが分かりますか?

一方、それにつづく汽車の走り初めが、ピアノ・バンドネオン・ピアノ・バンドネオンとつづいて行きます。
ピアノとバンドネオンは、両方とも同じような倍音の性質があるように見え、
特にピアノは一音だけでもかなりの存在感ですね。

踊り手としては
単純に一歩一歩進んでいく感じになりそうですが、
少しずつ早くなって汽車並みのスピードに達するので
まじめにやってしまうとバカみたいに早いステップになってしまいます。

このへんがまず踊る側としても面白さがある部分でしょう。

適当なタイミングで
きっとポーズしたりアドルノしたりでもしているの雰囲気でしょうか。

ポイント2:バイオリンの調べ
Miguel Calo:バイオリンの調べ

この部分は、バイオリン・合奏・バイオリン・・・
という感じのパートとなっています。

バイオリン音は
ほとんど単純音に近いけれども
独特の倍音が重なっていることが分かります。

また、単音パートと合奏パートの音の広がりだけみても
まったく別の特性が繰り返されていることが分かります。

踊り手として
これだけメリハリがあれば
動く時間や動かない時間だけでなく
ゆっくりな動きを楽しめそうです。

個人的に
バイオリンの旋律は
低音→高音 よりも 高音→低音となる音の順序のタイミングで
”ふっ”と体の力が抜ける動きになり
自然にタンゴのカミナンド始めにつながるような傾向があります。

まぁ多分これは踊り手の好き好きでしょう。

ポイント3:声の衝撃
Jorge Ortiz 声の衝撃

この部分、何か様子が変わりました。
さきほどのバイオリンパートから一転、人の歌声が入ってきました。

Jorge Ortiz という人の声らしいですが、
歌・合奏・歌・合奏・・・という展開です。

バイオリンに比べて随分根太い存在感を示していることが分かります。
これだけぐっさりと可聴音域に入って来ていると
いやでも脳が動きます。

踊り手としては
声のないパートに比べて、
ルーチン化されていない音の揺らぎが
踊り応えとなっているように思えます。

また、歌声の出し方によっては
バイオリンのように柔らかいスペクトルを出していたり
強い存在を示していたり
踊りの強弱のようなものを実は支配している可能性も感じられます。

ポイント4:曲の消えざま曲の消えざま

またこのタンゴの曲も
憎らしいほど切ない終わり方をしています。

踊り終えた安堵感のようなものが
自然に曲から与えられている気がします。

ポイント5:他にもたくさん
挙げ始めたらキリがないのですが・・・

ピアノの高音部分の遊び
ベースの歩き
バンドネオン・バイオリンのバリエーション
canyenge

重厚な音の重ね具合
刻みの途切れ具合
旋律の途切れ具合
テンポの揺れ具合

何かしら
無意識的に動いてはいるものの

踊りに影響を与える要素が
実は多く隠されていることが
よく分かる。

使用したソフト

サウンドモニター FFT Wave
http://www2.tky.3web.ne.jp/~nozu/fftwave/index.html

画面動画キャプチャーソフト CamStudio
http://nonn-et-twk.net/twk/CamStudio/

2007年12月30日日曜日

タンゴが我が国に流行しない理由

タンゴが我が国に流行しないのにはそれ相當の理由がある。
 
 第一にタンゴ音楽を演奏し得るバンドがない。
 第二にタンゴに適した踊り場がない。
 第三に就てタンゴを学ぶ可き良師に乏しい。



森潤三郎という人によって1930年代の日本で書かれた「アルゼンチンタンゴの踊り方」という作品の冒頭である。

森鴎外の弟と同姓同名なのでもしかしたら本人かもしれない。



彼の「たんご」という作品にはこんな文面が見られる。


 タンゴは元来アルゼンチンの民謡、音楽、並に舞踏(この三者は恒に不可分の関係にある)であって、
 その演奏はアルゼンチンの人間に限るのである。
 アルゼンチン以外の楽手ではタンゴ特有の味と辛辣さとが出て来ないのである。
 その技巧を学び得てもその精神をつかむことが不可能らしい。



もちろん、舞踏についても同様の思想が見え隠れする。
当時渡亜した日本人とアルゼンチン人の会話の引用らしい。


 『それでは判りにくい。も少し規則的に教へろ』と云ふと
 『私達は小供の時からタンゴ計りを聴いています。
 そして、それに合はせて歩いていますから、タンゴを耳にしさへすれば、
 足が自然に動き出すのです。従って、自分で踊って見せる以外別に規則だとか、
 ステップだとか云ふものは存じません。つまりどう云ふ風に踊るかと云ふこと
 をお教へは出来ないのです』と云ひましたよ。



タンゴはアルゼンチンの人間にしか成し得ない

という一つの考え方がそこにあったと思われる。




あれから80年近く経って、
アルゼンチン以外の国でも少なからず形を変えるなり何なりで
タンゴが流行しているとは言えないまでも普及しつつあるし、
アルゼンチン国内でさえも、日本で言えば相撲にモンゴル人の横綱が現れたような現象が実際にある。



森氏自身は目賀田男爵(アルゼンチンタンゴを日本に最初に持ち込んだとされる伝説の人物)のダンス弟子でもあったようだ。


 日本に於いて社交ダンスを健全に発達せしめんがためには、
 これを先づ家庭に取り入れ、而して後、次第にその範囲を拡大して、
 一般社交に及ぼすを上策と信じるからである。




つまり当時の日本にあった形で、目賀田ダンスのような形をとって「アルゼンチンタンゴが流行しない3つの理由」が克服されたと解釈すればよいだろうか。

ヨーロッパなどでも社交ダンスとして形を変えて普及していったタンゴダンスの一つのルーツがそこにあったようだ。





その時代から随分と時間が経って、
今現在、社交ダンスとは全く違う形でアルゼンチンタンゴダンスが普及していて、
そのルーツには幾説もあり真相はいざ知らずであるが、



今、私の口から無難に言う事が出来るとすれば

1930年代とは違って、
アルゼンチン現地から持ち込まれるダンスが
そのままに近い形で日本で受け入れられるようになってきた、

ということで結果的には
森氏が語ったアルゼンチンタンゴが流行しない3つの理由とされた事象が克服されつつあるのかもしれない。



もう一つおまけに言えば、
今まさに、アルゼンチン固有の民謡・音楽・舞踏という物が、
日本でも改めて回帰して融合し得るタイミングなのではないか、と勝手に思ったりもしている。